津村記久子 / ワーカーズ・ダイジェスト

ワーカーズ・ダイジェスト

ワーカーズ・ダイジェスト

15日、31歳になった。31歳の1冊目。

人生80年時代を生きているけれど、現時点で特に身体に何らかの異常を感じているようなことはないけれど、遺伝的なものを何となくの根拠に、自分の人生はもう折り返し地点を過ぎたと思っている。あと30年はもしかしたら生きられるかもしれないけれど、あと35年はまず生きないだろうと思っている。

人生の折り返し地点を過ぎたとは思っているけれど、仕事はまだ駆け出しも良いところで。これからいくらでも変わっていけるし、夢は見なくとも、現実に見える高みにはいくらだって上っていける。そんな風に考えながら仕事をしていた2、3年前と今は、僅かなようでいて、確かに違う。本気で望めばいくらでも変わっていけるかも知れないけれど、自分なりに確立したスタイルもある。現実に見える高みを見上げているその足場は、確かなようでいて意外と脆い、そんなことにようやく気付く。足場を固める重要性に、ようやく気付く。上を見るのも大切だけれど、足場を固めるのもそれと同じ程度には大切だ。そんな風に考えながら仕事をしている。
人生の折り返し地点を過ぎたとは思っているけれど、まだ何も持っていない。これから何かを獲得しようとする気があるのかどうかさえも、本当のところはよくわからない。テレビを点ければ「婚活」なる言葉が頻繁に目に飛び込んでくる。震災を機に人との繋がりを再考し家庭を築くことにした、そんな同世代のニュースも頻繁に流れている。自分もそうしたいのかな。そうでもないのかな。そんな風に、考えることからどこか目を逸らしながら生活をしている。

本作の主人公2人は、32歳から33歳の1年を過ごす、男女2人。恋人でもなければ友人でもない。仕事を介して知り合った、男女2人。

失ってしまったものは いつのまにか地図になって 新しい場所へ誘ってゆく

ってのは、岸田繁が31歳の年に発表された、くるりの名曲「JUBILEE」の一節だけど。そんな美しい光景は、残念ながらと言うか当然ながらと言うか、描かれてはいない。10年付き合ったかつての恋人とは、別れた後も何かの機会ごとに連絡を取りたくなるものなのだろうか。恋人と10年付き合ったこともないのでわからないけれど、ああ、1年くらい付き合ったかつての恋人とは、確かにその後も何度か連絡を取っていたこともあったわ。

古い井戸に水があるのに、新しい井戸を掘るのは止めた方が良い。

ってのは、かつてのサッカー日本代表監督の言葉だけど。その「古い井戸の水」と評されたのは、当時32歳の元スタープレイヤー。結局彼に取って代わったのは当時24歳のライジングスターだったけれど、そんな新しく素敵な出会いもやはり、残念ながらと言うか当然ながらと言うか、描かれてはいない。32歳が一回り年上の異性にしつこく付きまとわれて困るようなことって、結構よくあることなんだろうか。二回りくらい年上の奥様を崇拝しているこの思いが、本気になって厄介なことにならないようには心がけよう。

獲得してきたものと、失ってきたものがある。程度の差こそあれキャパシティが限られている以上、限られたキャパシティ以上のものを背負って生きていくことはできない。

20代後半くらいまでに獲得してきたものと失ってきたものに思いを寄せれば。失い難いいくつかに対する悲しみも確かにあったけれど、得難いいくつかに対する喜びが、やはり上回る。少なくとも20代後半までの自分にとって、植毛ってのは笑い飛ばせる冗談だった。ウェイン・ルーニー、君は悲しみとユーモアを知っている。
30代後半くらいから獲得していくものと失っていくものに想像を巡らせれば。得難いような出会いだってあるだろうとは思うけれど、きっと、今から失っていくものの方が多いんだろうと思う。それを悲しいと思うことはない。ただ、そうだろうと思う。あと5年後に致命的にハゲていても、それに抗おうなんて、きっと思わない。むしろよく頑張ったなあと、自分を労うだろう。

30代前半。
獲得してきたものと失ってきたものを天秤にかければ多分天秤は水平に近い、そんなお年頃。獲得してきたものが失われていくそんな感覚が今まで以上にリアルに感じられる、そんなお年頃。失ったものは二度と手に入らない、そんな感覚を身を持って否応なく学ぶ、そんなお年頃。いつかそれを失うだろうという予感と共に何かを獲得していく、そんなお年頃。

自分という機関が動き始めて三十二年、もう二度と清らかになることはないだろう。そんなことを考えると、それでも三十二年も動き続けたという事実が、みじめでも素晴らしくもなく、ただ不思議だと感じられた。

色んなものを手に入れて、色んなものを捨ててきた。そして僕も、31年目に突入している。確かにそれ自体が、ただ不思議だ。みじめだなんて、勿論思わない。素晴らしいとは少しだけ、いや結構、思っている。でも確かに、それ以上に、ただ不思議だ。

数年前なら、この作品にこの感情は持たなかっただろうなと思いながら読んだ。
この作品に持ったこの感情を、数年後には失くすだろうなと思いながら読んだ。
共感、しながら読んだ。

15日、31歳になった。31歳の1冊目。この作品で良かった。