言文不一致体問題

10月15日金曜日、クラブ・スヌーザー@名古屋、並びにそれをメインイベントとする、ツイッター発・名古屋オフ会に行ってきました。
ネットで知り合った人と会うこと自体は何回か経験済みだったけれど、1対1じゃない複数参加の所謂オフ会に参加するのは今回が初めてで、結構緊張してたものの、ネット上での付き合いは結構長い人もいたりして、何より皆サイコーにナイスピーポーで、心から「行って良かったなあ」と思えるオフ会だった。
クラスヌ自体も実は初参加、て言うかクラブ遊び自体初めてで、ライヴで踊るのとは勝手が違う部分とかもあるんだろうなあドキドキ、とか事前にいろいろ考えてたんだけど、まあ簡単に言うとクラブに入った記憶が全く飛んでる程の泥酔ぶりだったため、意識を取り戻してからもそんなに深く考えることなく、音楽に体を委ねる感じで楽しめました。ラスト間際の「Don't Look Back In Anger」を皆で合唱しながら踊った時の多幸感は、ずっと忘れない。
今回のオフ会で実は会うのが4回目だったfuwa_nekoさん(素敵なおとめ! お土産ありがとうございました。普段のツイートは人間の魅力たっぷり、好きです☆)とも、今回でかなり打ち解けることが出来た、と言うかこれまでがお互いに打ち解けることが出来なさすぎだっただけなのかも(笑)

初対面の人と会う時にはもれなく緊張する程度には人見知りの僕ですが、ネット経由で知り合った人と初めて会う時の緊張感って言うのはそれとは少し違う独特なものがあって、それは当たり前のことではあるんだけど、ネット経由ではあるけれど「その人のことを知っている」から。向こうも同じように「僕のことを知っている」から。

ネット経由のコミュニケーションをネット経由で終始させたくはないなあと思ったのは、今回お会いしたtakayukkieさん(のブログは「The Importance Of Being Idle」 twitterもはてなも、この人がいなかったら始めてないし続けてない、そのくらい僕にとって大きな人! 勿論文章も切れ味抜群、好きです☆)に知り合えたことが大きくて、ネットを介したコミュニケーションを重ねて行くうちに、ネットでもビシビシに伝わってくるこの人の魅力と、直に触れ合ってみたい! と、ずーっと思っていた。ナイスピーポー揃いの今回、その中でも1番お会いしたかったのがtakayukkieさんで、期待通りの無敵ボーイぶりに直に接することが出来たこと、本当に嬉しかった。

このはてなダイアリーもそのひとつであるように、ネット上での自己表現ツールは、それこそ僕が大学生だった約10年前と比べれば一日千秋の趣、いや言葉通りの一日千秋、昨日と今日を比べても明らかに差ができるんじゃないかってくらいの数のそれが存在しているんだろう。現時点で僕は使用歴が長い順にmixitwitterはてなダイアリーの3つを活用しているのだけれど、最近話題のfacebookをはじめ、もっと多くのツールを活用している人は多いと思う。そもそも1番使用歴の長いmixiでさえ3年前から始めた僕なんて、ネット界に於いては素人も素人、今回お会いした大学生のU_haginoさん(のブログは「Fast Critic -ジャンクな批評-」 ザ・批評! って感じの明晰な文章、好きです☆)と、それについては少し話しただけだけど、改めて実感した。

大阪からはもう1名、こちらも大学生のuuuuuuuuuuuuuさん(冗談みたいなHN笑、のブログは「この言葉の続きを綴る」 ブログタイトルにも象徴されるように言葉のセンスが抜群、今まで会った人の中でも指折りに天才だと思う、好きです☆)が来名してくれた。uuuuuuu……ゴメンナサイ、めんどくさいので以下「うーさん」でいきます(笑)、うーさんと知り合ったのは上記のお二方と比べると最近のことなんだけど。
面白いことに、うーさんとのやり取りが、僕にとっては1番「自然」だったのかも知れない。

ネット経由で知り合った人と初めて会う時の緊張感って言うのは単純に初対面の時のそれとは少し違う独特なものがあって、それは当たり前のことではあるんだけど、ネット経由ではあるけれど「その人のことを知っている」から。向こうも同じように「僕のことを知っている」から。

萩野さんと話した時にも感じたように今やネットを介したコミュニケーションなんて本当に掃いて捨てるほどあって、そこ(ネット上)では自分を飾ろうと思えばいくらでも飾れるし、自分を貶めようと思えばいくらでも貶められる。
飾ろうと思えばいくらでも飾れるし、貶めようと思えばいくらでも貶められる。けれど、飾らず貶めない、そんな自分を表出させるのは、実はものすごく困難なことなのかも知れない。
そしてこれはネット社会の云々で語られる問題ではなく、言うなれば行為という行為、僕の中で「言文不一致体問題」と称されるそれに対しての云々で語られるべき問題なのかもしれない。

行為という行為とは。
即ち、何らかの行為について「書く」、それ自体がもう「行為」となってしまっているということ。
行為自体はありふれたそれであったとしても、「書く」という行為によって、その行為は輝きもすれば鈍りもする。行為に行為を重ねることで、行為にその人ならではの色を付けることが可能となり、その人がその人ならではの「書く」という行為によってつけた色、その色のついた行為が、最終的にその人に残る行為となる。
これは僕にとってこの上なく素敵なことだと今まで思っていたし、この上なく素敵なことと言う思い自体には今も一点の曇りも無いけれど、この「行為という行為」に対する考察を今まで以上に深めたいなあと、今回ネットを介した素敵な出会いと言う行為を経て、僕は思った。

ネット経由で知り合った人と会おうと思うくらいだから、ネット経由とはいえ、そこで出す自分は飾りも貶めもされていない、素の自分でコミュニケートしている、少なくとも僕はそう思っていたし、それは別に大仰に言うまでもなく皆そうだと思う。

コミュニケートと真面目に向き合おうとすればするほど、真面目に「書くという行為」にも向き合うことになる。普段の何と言うことも無い出来事に対して何と言うことも無い思いを抱いた程度の行為であっても、それを「書くという行為」へと移行させようとすれば、最低限必要な色合いや濃度が僕には必要になり、少なくとも「何と言うことも無い」程度の色も付けられる技量が、僕にはまだない。

今回お会いした皆さんが、僕に対して「真面目な感じ」を先入観として持ってくれていて、お会いしてある程度の時間を経てもそれは変わらなかった。ある程度の時間を経て、まあ簡単に言えば僕が泥酔して奇行や珍言を連発したようで、それを経て「真面目な感じ」だけじゃない僕の印象を植え付けることもできたと思うし、というか「真面目な感じ」は多分どこかへ行ってしまったと思うけれど。
まあ自分でも思う、真面目か不真面目かと言えば真面目な方ではあるんだろう。そもそも「最高だった!」の一言で片付けようとすれば片付けることも出来る、それほど最高の1日を起点に、まさかこんなこと延々と考えてるなんて時点で真面目であることは間違いない。

当たり前のことではあるけれど、皆さんが僕に対して持っていたのと同じように、僕も皆さんに対して一定の先入観、と言うかネットを介したやり取りの中でそれぞれの人に対して抱いたイメージ、を持っていた。そして結果的に、事前に持っていたそれと事後に抱いたそれが大きくずれるようなことはなかった。
と言うことは、皆さんは僕と比べればずっと、「行為を書くという行為」が上手いんだ。
僕は、まだまだ「行為を書くという行為」が下手なんだ。

これからも、ネットを介したコミュニケーションから実際にお会いするに至る、そんなことがあると思う。そんな時は、「書くという行為」によって伝えられる、その目一杯を伝えたと言えるような「書くという行為」が出来るようになりたい。この文章も勿論その一環だし、この文章を読んでくれたあなたが受け取った僕と実際の僕との齟齬、それが全く無くなることは、その「書くという行為」の性質から考えても間違いなくないけれど、それを少しでも小さくする、そんな文章を書けるよう、そんな僕でいられるように。

ってなことを延々考えながら、町田康の最新刊「どつぼ超然」を読めば、この人の「書くという行為」のあまりの上手さに対して、大いなる羨望と共に、もはや軽い絶望すら。

どつぼ超然

どつぼ超然

作家・町田康をしっかり読んだのは意外に遅くて、昨年のことだったかな。

告白

告白

宿屋めぐり

宿屋めぐり

最新刊とこの2冊、もし僕のこの文章を読んで少しでも何処かに何かが響いてくれた人がいたなら、是非読んで欲しい。僕の文章の数倍のスケールで、数倍分かりやすく、数倍面白く、この言文不一致体問題に対する行為を書くという行為に成功している。最新刊は読んでる途中なんで評価は差し控えるにしても、2冊とも僕の読んだ21世紀の国内小説のなかでは余裕のトップ5。特に「告白」、21世紀の国内小説では、2010年10月時点でのマイベスト。