泉まくら / マイルーム・マイステージ

 

マイルーム・マイステージ

マイルーム・マイステージ

 

 

もう7年前の出来事になるってことにビックリする。2006年の10月7日、3連休初日の土曜日、当時大好きで大好きでたまらなかった女の子が、静岡県からはるばる岐阜県にある僕のアパートまで遊びに来てくれた。その年の4月に入った今の会社の新入社員合宿研修で同じクラスになってほとんど一目惚れみたいな感じで好きになったその子とは、研修が終わってからもメールのやり取りは続いていたし、クラスの飲み会なんかで何度か顔を合わせてはいたけれど、夏が終わった頃、自炊の話題で盛り上がっていたメールの中で、諦め半分本気半分なのを何とか誤魔化すようにせいいっぱい軽い感じで送ってみた「じゃあ今度遊びに来てくださいよー(笑)」って言葉に、「じゃあ今度の3連休に遊びに行っても良いですか?」なんて返事を返してくれるとはホントに思っていなくて、嬉しくて嬉しくて舞い上がり過ぎて、なぜかその子からのメールを貰った直後に同じ支局に配属された同期の子に電話で報告して「……あなた中学生?」って呆れられたことまでセットで、今もハッキリと憶えている。

その子と僕の共通の友人の女の子も含めて3人で僕の部屋で過ごした2006年10月7日の夜を、僕はあれから7年経った今も忘れられていないし、たぶんこれからも忘れられない。僕が作ったトマトとひき肉とナスのカレー(メールで話していたメニューだ)で始まって、あの子が静岡県からわざわざ持ってきてくれた手作りショートケーキを2人で囲んで友人が撮ってくれた写真、3人で近くのスーパーまで買い出しに行って調達してきた缶チューハイでほろ酔いになったあの子のほんのり紅く染まった頬、その横顔がまぶし過ぎてまぶし過ぎて胸がいっぱいになっていた僕、僕の気持ちを伝えようと話題を誘導し続けてくれた友人、その時点で何故か泣きそうになって気持ちを伝えることもできなかった僕、いつの間にか酔って寝てしまったお酒に弱いあの子の寝顔を眺めながら寝息を聴きながら、何も言えなくなっていた僕を、何とも言えない顔をしながらも笑いかけてくれた友人、結局寝付けなかった2人で、朝まで語り合ってたあの子の可愛らしさ。

研修では隣の席で授業を受けていた。絶叫アトラクションとか大嫌いなのに、一緒に長島スパーランドにも行った。蕎麦アレルギーなのに、長野県まで旅行もした。だけどもしも僕が人生のクライマックスをもう既に通過してしまっているとしたならそれはもうあの日以外にないし、そんなあの日の行動のほぼすべてが今となればどう考えてもヘタレのそれと言うより他にないのだけれど、あの日の行動のすべてが今でも僕の中でかけがえのないものであることもまた否定のしようもない。あの子の息遣いまで聴こえてくる距離で過ごせたあの時間を何かに結実させることもできなかった情けない僕だけれど、あの子の息遣いまで聴こえてくる距離で過ごせたあの時間を、僕はきっと死ぬまで忘れることはない。

 

何となく立ち寄ったCD屋さんで初めてジャケットを目にして2秒で引き付けられて、運良く置いてあった試聴コーナーで2分聴いて完全に持っていかれて、お店に入るまで名前も知らなかったのに今や完全にハマっている泉まくらのこのアルバムを聴くたび僕は、今まで忘れたこともなかったけれど今では積極的に思い出すことも少なくなっていたあの日の夜のことを思い出して仕方がない。先週の土曜日にアルバムを手に入れてから1日に3、4回は聴いているので、ってことは本作のランニングタイム約30分×3、4回、1日に1時間半から2時間はあの日の夜のことを思い出している。

 

CHARAACOか、あるいは川本真琴か、90年代後半に僕の耳を虜にした、息遣いまで聴こえてきそうなスタイルの女性ヴォーカルを、今に至るまでほぼ触れてこなかった日本語ラップと言うジャンルで聴かせる彼女の今作は、アルバムタイトルがわかりやすく表しているように、大半の曲が「自分の部屋」を舞台にしている。

 

触ったこともないプレステだけど

置いてったんなら貰おう

「マイルーム」

恋愛が終わった後に残るのは、確かにこういう記憶なのかも知れない。誰もが行きたがるような恋愛スポットも、誰もが何となく記憶には留めるのかもしれないけれど、他の誰でもない私の部屋にある他の誰でもないあなたの私物が、他の誰でもない私とあなたとの記憶になる。長島スパーランドのアトラクションよりも長野の景色よりも、僕の部屋のあの子の横顔をずっと強く憶えているように。

 

眠れず迎えた朝を

「あたらしい日」なんて冗談でしょう?

「Dance?」

結局一睡もせずに迎えた次の日の朝、あの子は帰っていった。駅近くの橋から見た川辺に咲いていた菊の花の美しさは、確かにあの夜の記憶の最後に申し訳程度に出てくる程度だ。

 

「マイルーム」を主舞台に、メランコリーなトラックに言葉数の多い(当たり前か)リリックを乗せて歌いながら、聴き手の僕にあの日の記憶を鮮烈に呼び起こさせる、そんな大傑作アルバムのラストを飾る大名曲「君のこと」で、だが彼女は確かに、「マイルーム」からの一歩を踏み記している。


泉まくら 『君のこと』 pro.nagaco 【フル試聴】 - YouTube

ペダルを踏み込んだ

いつでも君だけを見つけたこの目に

あまりにもたくさんのことが飛び込んで

このサビのリリックに負けないくらいにサビ以外も素晴らしく、思わず全リリックを掲載したくなる(けどそれはさすがに止めておく)ほどのこの曲で歌われる「僕」は、ちょうど僕があの子のことが好きだったのと同じくらいには好きだったと推測される思い人「君」だけを見つめていた目に、部屋から一歩踏み出した(「ペダルを踏み込んだ」)ことによって、「君」以外のたくさんのことを飛び込ませようとしたのだ。どれほどの決意、どれほどの覚悟。

 

そんな決意もそんな覚悟もなく、むしろ決意と覚悟を以てあの日の記憶から一歩も出ようとしていない僕は、だからこのアルバムを、時間の許す限りリピートし続ける。

幸せだった。あの頃は本当に幸せだったよ。オレはあの思い出があるから、今までやってこれたし、この先どんなことも耐えられそうな気がするんだよ。

オールタイムの漫画名台詞ランキングを組むなら「G戦場ヘヴンズドア」のこれがベスト3に入るのは間違いない、僕はそういう人間だ。

でもきっといつか、僕にもこの部屋をあとにする日が訪れる。この部屋を塒としなくなる日が、僕にも必ず訪れる。この4月に異動になったのをきっかけに去ることもできたこの部屋に今も住み続けている理由の大きなひとつであるあの日の記憶を、もう記憶の中にだけ留めておかないといけなくなる日が、僕にも必ず訪れる。

その日がいつになるのか、今はまだわからない。半年後かも知れないし、1年後かもしれないし、5年後かもしれないし、10年後かもしれない。けれど、決めたことがある。

その日には、このアルバムを聴こう。このアルバムを1周聴いて、最後に「君のこと」を聴いて、そしてこの部屋を出ていこう。ペダルを、踏み込んで行こう。