Was There Then vol.3: The Stone Roses / Second Coming

セカンド・カミング

セカンド・カミング

 CDが売れなくなっただなんだといわれる昨今、そんなの知ったことかと去年も50枚強くらいは新譜を買ったと思うんだけど、年末に音楽好きの皆さんが年間ベストをやってるのを見て思ったのはまず単純に聴いてる量が凄いなってことで、CDが売れなくなっただなんだといわれる昨今、そんなの知ったことかとたくさんの新譜を買ってるんだろうし、そしてそれ以上に、それ以外の手段もたくさん使ってたくさんの新しい音楽を聴いてるんだろうなって思う。具体的に言えば、インターネットをたくさん駆使してたくさんの新しい音楽を聴いてるんだろうなって思う。いまだに無料DLすら利用したことのない僕なんて、もはや音楽好きとしては化石のような存在なのかも知れない。CDを「所有」することに拘る論理的な必然性はひとつもないことに論理的には気づいているのに、それでもCDを「所有」したくて、街のCD屋さんでCDを購入することによってCDを「所有」したくて、足繁く街のCD屋さんへ通う音楽好き、こうやって書いてて自分でもなんだか滑稽さすらおぼえるようなそんな音楽好き、それが僕だ。

年末に限らず音楽好きの皆さんが音楽の話をしているのを見て思うのは、特に今の若い人たちと僕のようなネット音痴では、過去の音楽に対する視点が全然違うんだなあってことで、それはどういうことかと言うと、今の若い人たちはたとえば1991年の音楽と1969年の音楽、このふたつを等しく「過去の音楽」として、いやもしかしたらそれらと2012年の音楽さえも等しく「音楽」として捉えることが出来ているような印象を受ける。けれどもそれは、今の音楽へのアクセスと過去の音楽へのアクセス、この両者に難易度的な差はなくなった、そんなネット時代の音楽好きとしては当然のことなんだろうな、と思う。

洋楽を聴くことの楽しみのひとつに「系譜を辿っていく」、いわゆる「掘っていく」楽しみってのがあることは音楽好きの皆さんなら頷いてくれると思うんだけど、今の若い人たちは僕よりずっと深く多く掘ってて凄いなあって思うことが多くて、それもやっぱりネットを駆使してるからで、さすがにこんだけ書いてると、自分でもいい加減ネットをもう少し使えやって気持ちになってくる。

 

The Past Was Yours But The Future Is Mine

僕が聴いてきた音楽の中でも確実に5本の指に入る、このカッコ良すぎる言葉を歌ってストーン・ローゼズがデビューしたのは、1989年。

僕がオアシスの2ndアルバムをきっかけに洋楽を聴き始めたのは、1995年。オアシスの1stアルバムがリリースされたのは、1994年。ストーン・ローゼズの2ndがリリースされたのは、1994年。僕がロッキング・オンを読み始めたのは、1996年。ストーン・ローゼズの解散は、1996年。

ネットなんて触れたこともなかった田舎の高校生にとって洋楽情報を入手するほぼ唯一の手段といえばそれは洋楽誌で、そして数ある洋楽誌の中から「ロッキング・オン」を選んだ田舎の高校生は洋楽に関する情報とともに洋楽に関する思想も「ロッキング・オン」によって植えつけられていったわけで、そして1996年の「ロッキング・オン」は当時の増井修編集長を先頭に、「過去はあんたらのもんだ、だけど未来は僕のもの」と挑戦的に歌ったそのバンドを、推しに推していた。その音楽を聴いたことがなかった僕もその歌詞は知っていたくらいに、推しに推していた。おまけに僕が洋楽に触れるきっかけになったバンドのリーダーも、彼らがいなかったら自分のバンドはなかったとまで言っていた。僕が洋楽に触れるきっかけになったバンドの洋楽に触れるきっかけになったアルバムは彼らにとって2枚目のアルバムで、1枚目のアルバムはその前年に出ていた。そして同じ年に、洋楽に触れるきっかけになったバンドのリーダーが、彼らがいなかったら自分のバンドはなかったとまで言っていた、そのバンドの2枚目のアルバムも出ていた。僕が1番好きなバンドの1枚目と同じ年に2枚目を出していて、僕がその2枚目を聴いた時点ではまだ辛うじて(だったと知ったのは、それから少し後だけど)活動していたそのバンドは、洋楽を聴き始めた僕にとって、過去のバンドじゃなかった。「あんたらのもん」じゃなく、「僕のもの」だった。

 

あのタイミングであのアルバムで彼らに出会えてなかったらって、時々考えてみたりする。

まず、レッド・ツェッペリンは間違いなく掘らなかった。増井編集長が推しに推してるローゼズに冷ややかな視線を向ける社長が最も愛するバンドってのもあって、今の若い人が思う以上に、今の僕もそこまで敵視せんでもよかったと思う程度に、当時の僕にとってツェッペリンは「あんたらのもん」だった。ライナーノーツで増井編集長が「比較は避けて通れないことになると思うが、明らかに彼らとは異なった新しいポイントがいくつもある」って書いてくれたおかげで、とりあえず掘ってみようとは思えた。あのアルバムを実質的に作り上げたジョン・スクワイアの方がジミー・ペイジって人よりずっと凄いに違いない。僕が彼らに出会った時にはもういなくなってしまっていたけれど、「Begging You」で楽器ド素人の僕にもハッキリとわかる超絶なドラムを披露していたレニの方がジョン・ボーナムって人よりずっと凄いに違いない。そんな先入観込みではあったけれど、とりあえず掘ってみようとは思えた。とりあえず掘ってみたらとてつもなく凄かったツェッペリンを、もう少ししっかり掘ってみようと思えた。

1997年の「Be Here Now」と1999年に出たクーラ・シェイカーの2nd、この2枚をこんなに好きになることも、たぶんなかった。CDをセットして再生ボタンを押してから延々と続く1曲目のイントロなのか何なのかもわからない演奏をワクワクしながら聴く楽しみを、邦楽ではちょっと耳にかかれなかった楽しみを、洋楽を聴き始めて間もない僕に教えてくれたのは、間違いなくこのアルバムの1曲目にしてベストトラック、「Breaking Into Heaven」。延々続いたイントロなのか何なのかもわからない演奏に乗せて囁くように歌い始めたのは、ヴォーカルのイアン・ブラウン。音楽の魅力は歌の上手下手とは必ずしも比例しないってこと、そんな邦楽ではちょっと気付きづらかった音楽の魅力を教えてくれたのは、決して下手とは思わないけれど決して上手くもない、だけど間違いなく魅力的なヴォーカル、イアン・ブラウン

クラブ・ミュージックへの造詣は今も浅いとは自分でも思うけど、浅いなりに掘ってみようって思うこともあるのは、出会って間もなく完全に散り散りになってしまった最高に絵になる4人の中の1人、マニが加入したバンド、プライマル・スクリームの1997年のアルバム、「Vanishing Point」が大好きになれたおかげかなと。最高の4人の中の1人が加入したバンドの作品が悪いはずがないって思って聴いたし、実際、悪いはずもなかった。

 

あのタイミングであのアルバムで彼らに出会えてなかったらって、時々考えてみたりする。

最高に絵になる4人が完全に散り散りになってしまった、そんな悲しみを感じずにいられた。聴くたびに最高に絵になってた4人を思い浮かべてしまう、そんな悲しみを感じずにいられた。悲しみを感じたくて音楽を聴いてるわけじゃあ勿論ないから、そこだけを見ればもしかしたら、あのタイミングで彼らにあのアルバムで出会えてなかった方が良かったのかも知れない。

 

あのタイミングであのアルバムで彼らに出会えてなかったらって、時々考えてみたりする。

1度は完全に散り散りになってしまった4人が、もう2度と集まることはないと思っていた4人が、再び最高に絵になる4人に戻った姿を見て、あんなに感動できなかった。

The Past Was Yours But The Future Is Mine

この言葉をあの頃とは違った響きで受け取れることは、きっとなかった。「あんたら」じゃなくて「君たち」って響きで。挑戦的じゃなく、彼らと出会ったことで積み重ねて来れた過去を包み込んでくれるような、そんな響きで。

 

あのタイミングであのアルバムで彼らに出会えたから、僕は2013年になっても、彼らのことを大好きでいられるんだ。僕はそれが、すごく嬉しいんだ。

だから。

あのタイミングであのアルバムで彼らに出会えたこと。それは僕にとって、すごくすごく幸せなことだったんだ。