Was There Then vol.0: 長すぎる前フリ

僕が持っているOasisの3rdアルバム「Be Here Now」の歌詞カードには、左上部分に少し切れ込みが入っている。何故かと言えば、1997年8月20日のお昼過ぎに岐阜県土岐市の今は亡き「カエデ楽器」で買ってきた本作を、僕はもう夕食までずっと聴き倒していたんだけど、3周目で早くも歌詞カード片手にベッドの上に立ってリアムと合唱していたところ、あまりにテンションが上がりすぎたせいでいつの間にか歌詞カードを持っているのを忘れて右手を突き上げながら左手でリズムを刻み始めてしまい、その拍子に僕の左手に持たれていた歌詞カードは、ベッドと僕の身長を合わせた約2メートルの高さから、無防備に落下していった。購入したその日に歌詞カードを傷つけてしまったことに僕の心もそれなりに傷つき、何なら購入し直そうかとすら思ったのだけれど基本的にお金のない高校2年生にその選択肢が現実的であるはずもなく、少しだけお金を持ち始めたそれ以後にそのような気持ちを再び抱くことも特になく、今に至っている。

去年の秋頃にいつものようにタワーレコードに行っていつものように棚を眺めていたら、ひとつのタイトルに目が留まった。Kula Shakerの1stアルバム「K」、オリジナル盤発売15周年エディション。「The Stone Roses」20周年エディション、「The Velvet Underground & Nico」35周年エディションなんかは僕も発売と同時に購入したし、まだ持っていないけれどPrimal Screamの「Screamadelica」20周年エディションも、中古CDショップに足を運ぶたびに探してみたりする。でも「K」と後述の3作品の間には僕にとっては大きな差があって、それが何かというと、僕がリアルタイムで接した作品かそうでないかということ。少なくとも僕の知る限り、自分がリアルタイムで聴いていた作品が「○○周年エディション」になったのは去年の「K」が初めてで、僕はなんだか不思議な気持ちになった。初めて耳に触れた時の熱狂と興奮を今でも鮮明に思い出せる、今聴いても現在進行形で熱狂と興奮を味わえる、そんな作品たちは、ある意味ではもう「過去」になりつつあるんだなあ、と。

1995年、中学3年生の冬口に、クラスのM君から「これ凄い良いで、聴いてみやあ!」と言って聴かされたOasisの「(What's The Story) Morning Glory?」が、僕にとっての初めての洋楽。1996年、高校生になってお小遣いが増額した分は、まるまるCDに費やせる金額に充てられた。「(What's The Story) Morning Glory」のライナーノーツに名前が載っていたBlurっていうバンドを聴いてみた。次はBlurの「The Great Escape」のライナーノーツに「因縁の深いあのバンド」と書かれていて、ちょうどソニーウォークマンのCMソングにも起用されていたSuedeってバンド、その次はSuedeの「Coming Up」を買いに行った時に、CDショップの洋楽コーナーで「注目の新人!」って紹介されていたKula Shaker……って感じで、次の年に購入を始めることになる「ロッキング・オン」の存在も知らなかった頃の、幼くも楽しすぎたディグ。

思い出補正、多分かかりまくってる。リアルタイム厨、そう言われたら甘んじて受けよう。でも、それの何が悪いんだい? 個人的体験や個人的思い出と結びついて響き渡る音楽ほどに美しいそれを僕は知らないし、そういう意味で音楽ってものには、個人的嗜好こそあれど、優劣なんてものはない。その思いは、その思いを言語化できなかった当時から今まで、僕の中では何も変わってない。

僕は物書きで生計を立てているわけでは勿論ないし、それどころか物書きで一銭を稼いだことすらもない一介の勤め人だけれど、単純に書くことが好きで、いわゆる多感な時期に教科書よりもずっと熱心に音楽雑誌を読みながら育ってきたおかげで、中でも音楽について書くことが好きなんだけど、今まで意識的に避けてきた題材があって、それが何かと言うと、過去の作品について書くこと。部分的に過去に触れながら現在を語るってことであれば全然やってきたし、むしろ僕のブログはそういう芸風だとすら思うけど、過去の作品に正面から向き合うことは、意識して避けてきた。その明確な理由を説明しようと思って今考えてみてもやっぱりうまく言えないんだけれど、とにかく過去の作品よりも現在の作品について語るべきだという思いを抱き続けてきた。その思いが今覆ったということでは別にない。ないんだけど、別に頑なに過去の作品について語ることを避け続ける必要もないのではないかと思い始めた。現在の僕が過去の作品について語ることは、現在の僕が過去の僕について語ることでもあり、現在の僕が現在の僕について語ることにもなりうると、そう思い始めたってのはあるのかも知れない。

「Be Here Now」の切れ込みの入った歌詞カードを見て抱く気持ち。「K」の15周年エディションを目にしたときに抱いた気持ち。それは現在の僕が過去の僕を見て抱いた気持ちであり、そしてそれが笑えるほどに近くにあることに、現在の僕は気付いてしまっている。

そんなわけで今後、90年代後半の作品についての雑記を、「Was There Then」シリーズとして、不定期にちょくちょく書いていこうと思います。僕が僕になっていった時期に、僕を僕にしていった作品たちについて。