佐藤青南 / ある少女にまつわる殺人の告白

ある少女にまつわる殺人の告白

ある少女にまつわる殺人の告白

「このミス」シリーズ作品を割と読んでいることを最近自覚したのだけれど、自分が読んだ作品の中では上位にランクインすることは間違いない。4人の選考委員中1人だけで大賞にゴリ押ししたと言う茶木則雄さんの

テーマの深遠性とリーダビリティは湊かなえ「告白」を凌ぎ、意外性とミステリー的興趣は佐藤正午「身の上話」をも上回る

ってコメントに全面的に首肯することはさすがにできないけれど、当たらずとも遠からずといった感じか。

まず湊かなえ「告白」と比較した場合に、テーマの深遠性は大差ない。ミステリには真相に迫ることで救いがもたらされるものとそうでないものがあると思うけれど、この作品は後者にしかなりえない。後述するように、語り手が次々に変わっていくモノローグ形式を採用した本作に於ける「最後の語り手」を登場させることにより、作者は明らかに意図的にそうしたと言うことは分かるし、それは別に悪いことではない。テーマに向かう作者の真摯さ、そう言って良いと思う。
続いてリーダビリティは、確かに「告白」を上回っていると言って良い。ただこちらも選考委員の大森望さんが

湊かなえ「告白」が三百万部以上売れている今、DVの話を関係者のモノローグ形式で書くと言うのは、新人賞応募作としては致命的に間違っている

と評したように、既に受け容れる下地の作られた文体を新人のデビュー作と言う形で目にしたら、それはリーダビリティとは別の問題としてどうなのか、と言うのはあると思う。僕がそこまで抵抗を感じなかったのは、多分僕がミステリというジャンルの愛読者ではないからだ。冒険心には欠けている。それと引き換えに、リーダビリティを得ている。例えば昨年の「このミス」大賞作品である「TOGIO」なんかとは、その点では対照的な作品だ。

そして佐藤正午「身の上話」との比較だけれど、2009年の国内小説ぶっちぎり1位に「身の上話」を位置づけ、正直茶木先生の解説文の中にそんな作品との比較論が出てきたのをきっかけに本作の購入を決意した僕からすれば、まだまだ及ばない。
意外性はあるようでないようで、そもそも本作が意外性を獲得しようと思って書かれた作品なのかと言う次元で僕は疑問を感じざるを得ない。帯文句にある「証言を集める男の正体」も、何となく予想できる範囲ではあったし。だからと言って別に否定的な訳ではない。それも含めて先に言った「冒険心と引き換えに得たリーダビリティ」だと思うのだ。
もうひとつ、「ミステリー的興趣」については、先述したようにミステリと言うジャンルの愛読者ではない僕が論じるのは控えようと思う、のでこれについては評価なし。

と言う感じでこれまで茶木さんの論に沿って進めてきたんだけど、ここからはそれを外れて少し。
所謂「小説の一気読み」に対して僕はあまり肯定的ではないのだけれど、まあ今回、僕も本作を一気に読み終えた。何度も言っているのでいい加減しつこいとは思うけれど、ミステリというジャンルの愛読者と言うわけではない僕が思うのは、本作はあくまでも、ミステリと言うジャンルの枠の中で、そのジャンルを飛び出し得るような意外性は敢えて求めずに、そのジャンルの中で勝負した作品であると、そう言えるのではないだろうか。上述の2作品で言えば「告白」はともかく、「身の上話」は確実に、ミステリと言うジャンルの枠を飛び越えている。それをした方が凄いとかそういうことではないけれど、そういう意味でも本作は、「身の上話」との比較に相応しい作品ではないと思う。

難しいことはよくわかんないけどさ、あたしはぶん殴らない、あのクソ男はぶん殴る。それだけじゃん。

ミステリの枠の中で丁寧に謎の真相に迫っていく本作の中で、真相に迫ることを放棄したにも等しいようなこの台詞が、僕の心には1番残った。こんな台詞をもっともっと吐かせる作品がいつか出てきたその時こそ、本作を通じて作者に寄せられた茶木さんの大き過ぎる期待に応えて余りあるほどの結果が出るんではないかなあ、と思った。