齊藤智裕 / KAGEROU

KAGEROU

KAGEROU

買いました、読みました。話題沸騰(そうでもない?)、水嶋ヒロこと齊藤智裕「KAGEROU」。太田光の「マボロシの鳥」は文庫化待ちを決めたので未読、けどこっちは色んな意味で今読んでおくべきかなと思ったので、買いました、読みました。

そちらも全く未読ですし読む気も無いし、そもそもある程度は予想されてたと言えば言えるだろうけれど案の定ネット上のレビューでは酷評の嵐だそうで、けど僕はそれなりに楽しく読めました。「才能がある!」と断言できるかと問われればそこまではない気もするけれど、作者が意図したものをきっちり受け止められたかと問われればこれまたそうでもない気もするけれど、別に悪意のある感想を投げかける作品ではまったく無いと思ったし、素直な感性と、やや稚拙かなとは思うけれども素直な文体で一気に読ませるだけの力はある、良いか悪いかと言われれば良い作品だとは思いましたよ。少なくとも僕の中では、「金返せ!」度で言えば「1Q84 BOOK3」の方が上ですよ。

これから読むって人も数多くいるだろうから、内容について詳しく言及するのは控えながらも、感じたところを簡単に述べようかなと。

この「KAGEROU」と言う作品は、「水嶋ヒロこと齊藤智裕」の作品としてのみ成立しうる空気感を纏っている作品として、立派に成立している。そして処女作でそれを確立するってことは、決して誰にでもできることではないと思う。その一点に於いては僕はこの作品に対して好意的な評価をしたいと思うし、作家・齊藤智裕さんがこれから切り開いていきたいと思っているであろうキャリアプランには今のところそこまで期待を持っていないけれど、水嶋ヒロこと齊藤智裕さんの多岐に渡る才を披露するその一翼としての作家活動の未来ならば、まあ明るいと言って良い作品なんじゃないでしょうか、と言うところです。

生きている中で「お前が言うな」であるとか「どの口が言うのか」と言う感情を抱いたことのない人間は多分いないと思うし、逆に言えば同じことを言うにも「言って良い人間」あるいは「言って良い口」、そしてその逆のそれはあると思う。
KAGEROU」と言う作品に、例えば近年の僕が作家として敬愛して止まない桐野夏生さんの新刊として出会っていたとしたら。そりゃもう「金返せ!」どころの騒ぎじゃない、多分僕はそれ1作で彼女を見切りかねない、そういう作品だと思うのは否定しない。

けれど、齊藤智裕さんと言う作家のことを僕はまだ何も知らないけれど、ブラウン管を通じて知っている水嶋ヒロと言う人間の別ペルソナである齊藤智裕さんが書いた作品として「KAGEROU」に触れれば、まあそこまで嫌悪感を抱くことも無く読めるし、逆にそこまで嫌悪感を撒き散らすような意見を吐くような人間が多数存在するってことが不思議だなあとすら思う。
そしてこの本は、明らかに「俳優としてのキャリアを重ねてきた水嶋ヒロと言う人間の別ペルソナ=齊藤智裕」の作品として世に出ているわけで、そこから完全に目を逸らして読むってことなんか、出来るわけもないしするべきでもない。そしてそこから目を逸らさずに読めば、実に良く出来た小説なんじゃないですか? ってのが、僕がこの本を読み終えての素直な感想です。それ以上でもそれ以下でもないけれど、それはある程度は敬意を持って表するべきクオリティを備えているのではないですかね(って、この言い方自体どんだけ上から目線なんだって話だけど)。

以前、綿矢りさの新作についてレビューした文章で、僕はこう書いた。

「次作は間違いなく読もう。次々作も読もう。その次も、そのまた次も。

 綿矢りさという唯一無二の天才の行き着く果てを、彼女の遥か後方下方から、僕も仰ぎ見たい」

これに倣って言えば。

次作は多分読まない。次々作も読まない。その次も、そのまた次も。

齊藤智裕と言う唯一無二の才の行き着く果てに、僕はまだ、そこまで興味がない。

けれど、この作品自体を面白く読んだことは、全く否定しない。そしていつか、彼に対する興味が潰えなくなる日が来るのなら、それはそれで、喜ばしいことでしょう。