album of the year 2015
病める時も健やかなる時も、どんな時もとにかく、とにかく生きているという、そのことだけは肯定したいなと、そんなことを思いながら過ごすことが多かった1年でした。
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原田知世 - 夢の人 (I've Just Seen a Face)
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ACO "未成年" (Official Music Video)
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ゆるめるモ!(You'll Melt More!)『id アイドル』(Official Music Video)
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ラッキーオールドサン『ミッドナイト・バス』(Official Music Video)
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エレファントカシマシ「RAINBOW」Music Video (Short Ver.)
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Music Complete[ボーナストラック収録 / 国内盤] (TRCP200)
- アーティスト: New Order,ニュー・オーダー
- 出版社/メーカー: TRAFFIC / MUTE
- 発売日: 2015/09/23
- メディア: CD
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album of the year 2014
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2014年に最も僕の心に響いた音楽であり、つまり、2014年で最も素晴らしかった私小説としての音楽。
どうして音楽誌の年間ベストアルバムのアンケート締切後にリリースするのかなあってぐらい、ドレスコーズの新譜が良かったです。志磨さんはバンドマジックを信じている人なんだろうけど、毛皮のマリーズ後期然り、志磨さんが1人で作ったポップで女々しいアルバムのほうが心に響いちゃうんですよね。
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) 2014, 12月 10
一言一句違わず、本当にその通りだと思う。この作品がキャリアベストになることを彼が望んでいるのかどうかもわからないけれど、この作品が現時点での彼のキャリアベストなのは、事実として否定のしようがない。
もしかしたら、バンドマジックは、彼に降りてこなかったのかもしれない。だけど音楽の神様は、彼に憑りついて離れない。いやもしかしたら、彼に憑りついて離れないのは、音楽の神様じゃなくて、音楽という名の悪魔なのかもしれない。
ドレスコーズ - スーパー、スーパーサッド - YouTube
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17年前に17歳でスーパーカーってバンドのクリームソーダって曲に出逢った時の胸の高鳴りを、今でも鮮明に憶えている。その胸の高鳴りは、17年たった今も少しも色褪せていないし、これから17年たっても色褪せることはない。そして今年、恋する円盤ってバンドの春の嵐って曲に出逢って、あの頃と同じような胸の高鳴りを、これからずっと色褪せないって確信できる胸の高鳴りを、また感じられた。
17年前に17歳で出逢ったスーパーカーってバンドのスリーアウトチェンジってアルバムの帯に書いてあって、その時は正直よくわからなかった言葉がある。17年たった今、恋する円盤ってバンドのPASTELってアルバムを聴くと、その言葉が、胸にスッと落ちてくる。
僕は確かに生きていて、まだ優しくあることが出来ている。
今年この曲に17歳で出逢って胸を高鳴らせている若者がいたら、こう伝えたい。その胸の高鳴り、これからずっと色褪せないんだよ。君は、確かに生きているんだよ。
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銀杏BOYZ / 光のなかに立っていてね ・ BEACH - 長い手紙
そして今日、ミナミからメールが来たんだよ。ヨシヒコ、僕らが出逢ったあの寮が、僕らが青春を過ごしたあの寮が、僕らの青春の代名詞と言っていいあの寮が、ついに閉鎖されるんだってさ。
僕らの青春はどんどん終わっていって、僕らは否応なしに大人と呼ばれる年齢になっていって。
僕は、うまく青春を終わらせられているんだろうか。僕は、うまく大人になれているんだろうか。
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初めて聴いた時、泣いているのかと思った。2回目に聴いた時、泣いているように歌っているんだと思った。どんどん聴き込んで、歌っているんだと思った。泣くよりも強い感情を、歌うことで表出しているんだと思った。歌と生きている人なんだと、そう思った。
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ロッキング・オン誌の年間ベストアルバムなんですってね。良いじゃないですか。素晴らしいですもん、このアルバム。世界の中心でこんなにも赤裸々に愛を欲すること、誰にでもできることじゃない。
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世界は言い過ぎにしろ、日本の音楽シーンでは中心近くに力んで陣取って久しい彼ですが、この人の良さってのは、そこでよりもむしろ、世界の隅っこで脱力気味に歌うことで発揮されるタイプのそれなんじゃないかって、このアルバムを聴いていると、そう思います。年末に出たライヴ盤も素晴らしかったです。
Gotch(後藤正文)『Humanoid Girl / 機械仕掛けのあの娘』 Music ...
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マリアンヌの呪縛 限定デラックス盤 (ALBUM+DVD) (初回生産限定盤)
- アーティスト: キノコホテル
- 出版社/メーカー: ヤマハミュージックコミュニケーションズ
- 発売日: 2014/05/14
- メディア: CD
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志磨遼平さんが渇望してついぞ手に入れられなかったバンドマジックって、マリアンヌ東雲さんが率いるこのバンドのようなそれなんじゃないかって、3年前に知って以来アルバムリリースごとにこのバンドのライヴに通っていると、そう思う。3年前~今のキノコホテルの音楽、「チキン・ゾンビーズ」~「ギヤ・ブルーズ」期のミッシェル・ガン・エレファントの音楽を髣髴とさせる勢いで、強くなっている。マリアンヌ東雲さんを抜きにしてもバンドが成立させるのではと思わせるバンドメンバーの成長と、それでもまるで衰えないマリアンヌ東雲さんの圧倒的存在感。キノコホテル、理想のバンドだと思う。
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僕の住んでいる田舎の町では、普通に生活していれば昔の友達や昔の恋人を見かけたりする。時には言葉を交わしたりする。時にはすれ違ったりする。だけど、田舎の町に住んでいる僕が東京で出逢ったあの人とは、逢うことも、言葉を交わすことも、すれ違うことも、きっともうできない。そういうことを踏まえて、この曲を聴く。
「あなたに出逢えた この街の名は、東京」。
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「 エニィタイム ダンス!」
こう銘打たれたこのアルバムを、僕は1人の部屋で、とてもダンスとは言えないようなへんちくりんなタコ踊りをしながら聴いていることが多かったんだけど、このアルバムの楽しみ方として、きっと間違っていないと思う。というか、そもそも音楽の楽しみ方に間違いなんてないんじゃないかってことを、このアルバムを聴いていると、こんな僕でも思う。思うというより、感じる。PVに合わせて楽しく踊るのも良いし、タコ踊りだって良い。心踊ること。心を踊らせること。それが、「エニィタイム ダンス!」ってことなんだって、へんちくりんなタコ踊りをしながら、僕は感じる。
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13年前にこのバンドに出逢った時は、しっかりと想像していなかった。1度解散して再結成した彼らの音楽を、あれから13年たった今も、あの頃と同じように大切に聴いている自分がいること。あれから13年たっても、彼らの音楽を切実に必要としている自分がいること。あれから13年たっても、彼らの音楽と適切な距離をとって生きられる、そんな自分になれなかったこと。
僕はとうとう、完全にわかってしまった。13年前に出逢ったこのバンドと、17年前に出逢ったスーパーカーってバンド、この2つのバンドの音楽と言葉は、自分の細胞に流れ込んで決して抜けきることはないってことに。そしてきっとこれからも僕は、
傷つけながら傷つきながら 気付けないまま歩いていくのさ。
Syrup16g / Hurt
スーパーカーを聴いても心が揺さぶられなくなったら、その時は音楽を聴くことを止めようと、17歳の時に初めて聴いた時からずっとそう思っているのだけれど、このバンドに関しては、そういうのとはちょっと違うと思っていた。このバンドを聴いても心が揺さぶられなくなる時がいつかきっと来るのだろうけど、それは音楽を聴くことを止める時とかじゃなくて、それが僕が大人になった時なんだと、かつてはそう思っていた。僕が27歳の時に解散したこのバンドを、かつてとても切実な思いで聴いていたのは紛れもない事実だけれど、たとえば山崎洋一郎さんが「Meat Is Murder」のライナーでThe Smithsについて語っていた言葉を借りれば、「今、僕はあまりスミスを聞かない。卒業したとかそういうのではない。スミスは究極の屈折として、絶望として、僕の頭の中のレコード棚の一番左に置かれている」ような、そんな立ち位置のバンドになっていく、そんな時がいつか来るんだと思っていた。「またきっといつか、とても切実な思いで聞く日がやってくるのだ」と、そう思いながらも、それはずっと先の日のことだろうと、そんなことを思いながら、この34歳になった日々を生きているはずだった。
どっちの時ももう来ないんだってこと、はっきりわかりながら、この34歳になった日々を生きている。
人並みの幸せを手に入れて人並みの幸せを幸せだと感じられる、そんな人間になりたいと、そう願っていた。だけど、人並みの幸せを手に入れて人並みの幸せを幸せだと感じられるような人は、それをそもそも「人並み」ではなく、むしろ「自分らしい」幸せだと感じられるんだろうと、そう思った時僕は、人並みの幸せを手に入れることをあきらめるしかなかった。
「将来は素敵な家とあと犬がいて
リフォーム好きの妻にまたせがまれて
観覧車に乗った娘は靴を脱いで」
かつて、たとえばこんな人並みの幸せの情景に対して「何でここで涙出る」という絶望を歌っていた五十嵐隆は、6年7か月ぶりとなるこの新作でも、人並みの幸せに対して、全面的な敗北を宣言している。あの頃よりずっと強靭になった演奏に乗せて、あの頃とまるで変わらない絶望を歌っている。
「君とおんなじように 生きてみたいけど
君もおんなじように 生きていくのは
とても大変で」
「何でもないことが出来ない
当たり前のことが出来ないんだよ」
「心と向き合うなんて 無謀さ
もともと 勝ち目はないのに
挑んで またボロボロになってる」
今作を聴く少し前に人並みの幸せを手に入れることに破れた僕には、五十嵐隆の渇望と絶望が、それが良いのか悪いかは知らない、かつてこのバンドを聴いていたあの頃と同じように、いやたぶんそれ以上に、伝わってきてしまう。
だけど、今作を聴く直前に「愛なんて嘘」を読んだ僕には、こんなにも渇望し、絶望しながらも、それこそ「死んでいる方がマシさ」とまで言いながらも、それでも死んでいる方を選ばない、生きることを止めない、そんな五十嵐隆の絶望と渇望が、明らかにあの頃以上に、伝わってきてしまう。
「はっきり断言する 人生楽しくない
だから一瞬だって 繋がっていたいんだ」
「君と居られたのが 嬉しい
間違いだったけど 嬉しい
会えないのはちょっと 寂しい
誰かの君になってもいい 嬉しい」
「君とまた会えるのを 逢えるのを
待ってる
残念の中で 落胆の雨でも
勇敢な姿を 誰かがずっと見ている
最低の中で 最高は輝く
もうあり得ないほど 嫌になったら
逃げ出してしまえばいい」
こんなにも絶望して、こんなにも傷つきながら、それでも生きる。こんなにも絶望するのに、こんなにも傷つくのに、それでも一瞬の希望を、一瞬の繋がりを、きっとまた性懲りもなく渇望してしまう。こんな風に生きたいと思っていたわけではなかったし、こんな風に生きたいと思っているわけでもない。だけどもう、こんな風にしか生きられない。そして、こんな風にしか生きてこれなかったけれど、一瞬の希望は、一瞬の繋がりは、その道のりの中にだって、確かに、確かにあった。
いつか人並みに大人になっていくんだって、そう思っていた。いつか人並みの大人になっていけるんだって、そう思っていた。
そんないつかは来ないんだって、はっきりわかりながら、生きる。信じられる明日も今は落としたままだけれど、生きる。信じられる明日を落としてしまった時に、信じられた昨日がひとつでも拾えること、それは嬉しいことなんだって、そう思いながら、今日を生きる。
最後に再び山崎洋一郎さんが「Meat Is Murder」のライナーでThe Smithsについて語っていた言葉を借りれば、今も、僕はSyrup16gを聴いている。卒業するとか、そういうのはない。Syrup16gは究極の絶望として、屈折として、僕の頭の中のCD棚の一番左に置かれている。そしてきっとこれからも、とても切実な思いで聴いていく日が続いていくのだ。