白石一文 / 愛なんて嘘

 

愛なんて嘘

愛なんて嘘

 

 明日、遅くとも今週中には、Syrup16gのニューアルバムが聴ける。五十嵐隆の新しい歌が聴ける。

2008年の解散時には「勝手に死んでろ」と痛烈な呪詛を吐かれた五十嵐が、少なくない人間に実際に死ぬんじゃないかと思われていた節がある五十嵐が、だけど死ななかった五十嵐が、この世界に向かって再び歌いかけるニューアルバムが聴ける。

ずっと思っていた。こんなにも世界を憎んでいて、こんなにも生きづらそうにしていて、どうして彼は死なないのだろう。

 

人並みの幸せを手に入れて人並みの幸せを幸せだと感じられる、そんな人間になりたいと、そう願っていた。だけど、人並みの幸せを手に入れて人並みの幸せを幸せだと感じられるような人は、それをそもそも「人並み」ではなく、むしろ「自分らしい」幸せだと感じられるんだろうと、そう思った時僕は、人並みの幸せを手に入れることをあきらめるしかなかった。

だけどまだ、僕は「幸せ」をあきらめられない。そしてここで言っている「幸せ」は、「愛」と言い換えることもできる。むしろここで言っている「幸せ」は、「愛」とほぼ同義だ。

オッケー、いい加減に回りくどい言い方はよそう。僕は、愛を手に入れられなかった。愛を届けたいと、そう願っていた人がいた。その人に僕の愛は、届かなかった。

 

「どうして僕は自殺しないのだろう?」

そんな言葉とともに白石一文さんの著作「僕のなかの壊れていない部分」が話題になったのは、もう10年以上も前のことだ。その更に少し前に、村上龍の激賞とともに「一瞬の光」で鮮烈にデビューして以来、白石さんは、全著作をリアルタイムで読んできた数少ない作家の1人だ。上記2作の他にも「私という運命について」「この世の全部を敵に回して」「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」といった多くの傑作を世に問い、今年に入ってからも「彼が通る不思議なコースを私も」で深い思索をもたらしてくれた彼の久々の短編集となる今作で、まさか上記の傑作群が突き刺してきてくれた僕の心の、さらにその深いところまでが抉られることになるだなんて。

 

全6編の短編からなる今作は、どれも近年の白石作品が期待させる一定の品質を見事にクリアしているんだけど、中でも「二人のプール」が、僕の中では突出して素晴らしい、と言うより正確に、正直に言えば、凄まじい。一度離婚して、それぞれに別のパートナーを得たその後に、もう一度二人で、最期は二人で添い遂げる、そんな約束をした、一対の男と女の姿が描かれている。

 

希望と絶望が眼前に広がった時、安易に希望の方を選ばない、時には希望でも絶望でもない第3の道を見つけていく登場人物(これを山崎洋一郎さんがレディオヘッドを引き合いに出して激賞していたのも「一瞬の光」の頃の話だ)の姿自体は、これまでの白石作品に親しんできた読者であれば、ある程度は予想できるとしてもだ。今作の、その行動を選ぶに至る思索の深さ・鋭さ・精緻さは、今までの作品でさえ既に比肩するものはなかったレベルだというのに、それらをさらに凌駕している。

 

「高志と暮らしていると、自分の人生に十分に満足している人間がこの世界に存在するという嘘のような現実を日々思い知らされる。堅実な家庭で成長し、名の 通った大学に入り、一級建築士という真面目に努めれば一生食べるのに困らない資格を得、妻をめとり、可愛い一人娘を精一杯慈しむ――すべてが世界中のあちこちで無数の誰かがやっていることの焼き直しに過ぎないような、自分が自分であることの理由を何一つ見出せないような人生でありながら、何の不足も不満も感じずに平気な顔で生きて行ける人間。私にはそういう高志の存在がまったく理解できなかった。」

「この子も凡庸な父親と同様に、与えられたほどほどの人生にしがみつき、上手に順応し、自らを取り巻く社会や世界を善きものとみなして闊達に生きていくのかと想像するとまったくうんざりしてしまう。」

 

一体どれだけの絶望を通過してこれば、このような世界の見方ができるようになるのだろう。こんなにも絶望に満ち溢れた世界で、それでも生きようと願うことができるのは、どうしてなんだろう。

 

それこそ、「どうして彼女は自殺しないのだろう?」

 

その答えをここで書くようなことはここではできないけれど、こんなにも絶望に満ちた世界で、それでも生きようと願う理由を、主人公は、主人公の中でしか通じない理由だとしても、しっかりと持っている。そこに至る思索の深さ・鋭さ・精緻さに、やはり僕の心は刺され、抉られる。

 

白石作品が最終的に「人生を読み解く」ことをその目的のひとつとしていることは、これも白石作品に親しんできた読者であれば首肯してくれることと思う。そして今作はそのタイトルにもある通り、「愛」を中心に、人生が、徹底的に、容赦なく読み解かれている。今まで僕が愛だと思っていたそれは、本当に愛だったのか。他者に向けていたと思っていた愛は、本当に他者に向いていたのか。愛を手に入れられなかった僕は、その読み解きのひとつひとつに心を刺されているような痛みをおぼえながら、それでも頁をめくる手を止めることができなかった。

この世界には、こうやって痛みをおぼえながらしか読み進められない小説があり、こうやって痛みをおぼえながら小説を読み進めるような、そんな生き方しかできない人間がいる。僕の他にも、たくさんいる。

そして、そんな生き方しかできないとしても、それでも愛は、本当の愛は、信ずるに値するものだと、今作を通して、白石さんはそう言っている。間違いなく、そう言っている。

 

明日、遅くとも明後日には、Syrup16gのニューアルバムが聴ける。五十嵐隆の新しい歌が聴ける。

どうして彼は死ななかったのだろう。その答えも、その答えが聴けるかどうかも、聴いてみないとわからない。

けれど。

こんなにも世界を憎んでいても、こんなにも生きづらそうにしていても、それでも死なないでいることに、それでも生きていることに、少しだけかも知れないけれど、思いを巡らせられるようにはなった気がする。