Coldplay / Ghost Stories

 

ゴースト・ストーリーズ

ゴースト・ストーリーズ

 

The Wild, The Innocent & The E Street Shuffle」が「青春の叫び」に。「Tonight's The Night」が「今宵その夜」に。「Blood On The Tracks」が「血の轍」に。

「洋楽」を日本で聴いていると、時に出会うのが、この「邦題」ってやつで。僕の頭にパッと浮かんだ上記3つなんかは、英文法はできても英会話にはまるで自信のない、そんなレベルの英語を学んでいただけの田舎の中高生に、その音楽が持つ魅力を、ある意味では原題以上に伝えていたと思う。

僕の頭にパッと浮かんだ上記3つのアルバムはすべて1970年代の作品で、邦題のレベルはこの頃が1番高かったんじゃないかなと思う。80年代、90年代に発売された邦題のついた洋楽アルバムにもいくつか出会ったけど、これだ! というようなシックリくるそれに出会った記憶はあまりなくて(「オアシス」よりも「Definitely Maybe」でしょ、「石と薔薇」も悪くないけど、「The Stone Roses」でいいじゃん、「Mother's Milk」、わざわざ訳す必要あった?)、2000年代、リバティーンズの2枚の傑作アルバムに邦題をつけた人を、僕は決して許さない。

 

セカンドアルバム「A Rush of Blood to the Head」でオルタナティヴ・ロックとして、前作「Mylo Xyloto」でポップ・アルバムとして、これまでのキャリアで2つの頂に立ってきた(粉川しのさんことしのたんによる国内盤ライナーノーツを参照)、そんなコールドプレイの新作は、前作が特に印象に残らなかった僕としては、こっちは割と好きだったセカンドに並ぶレベルの作品かどうかはさておき、間違いなく、セカンド以上に「静寂の世界」な、そんな作品だ。

 

特にここ2作くらいのコールドプレイ、歌詞カードを読んでみても何を歌っているのかわからないし何を歌いたいのかもわからないんだけど、とにかく異常にシリアスさが前面に押し出されている感じがして、そのシリアスの押し出し方ってのが異常に装飾過多に聴こえるアレンジに象徴されていた気がして、それが心底嫌ってわけでもないけどそれが心の琴線に触れるかって言われたらそれはまあ間違いなくなくて、メロディ自体は割と好きなだけに残念といえば残念だなっていう感じだったんだけど、今作はそんな過去2作への反動もあるのか、クリス・マーティンさんの個人的事情もあるのか、抑えたアレンジに乗せて、失ってしまった恋人への郷愁が歌われ続ける。その痛みは、3曲目「Ink」のサビあたりで早くも絶頂を迎えて、まあこの曲が1番好きなんだけど、ああ徹頭徹尾この曲調で貫くつもりなのかなと思っていると、ラスト前の8曲目「A Sky Full of Stars」で、一気に爆ぜる。曲調自体は前作に収録されていてもおかしくないような感じなんだけど歌詞は今作のモードで、だからなのか、そこまで浮いては聴こえない。むしろ良い。スマッシング・パンプキンズ(というかビリー・コーガン)がドラマーを失った後に制作して、静謐すぎて全然売れなくて解散の一因になった、そんなアルバム「アドア」の、ランニングタイム70分くらいの内の60分くらいが経過したくらいの曲で、ようやくビリーの溢れる激情が聴こえてきた、そんな瞬間のことを、少し思い出したりもした。

 

再びライナーノーツを引用すると、しのたんは本作を「非常にコンセプチュアルな、情感をストイックに抑制したアルバム」と評していて、1年前のスウェード復活作に於いてはしのたんの作品評に完全脱帽した僕だけど、今作に於いては若干異を唱えたい。頭の中で浮かべたのか実生活から湧いてきてしまったのかはともかくコンセプチュアルというか統一性は間違いなくあるし、アレンジはストイックに抑制されているけれど、少なくとも、クリス・マーティンさんの情感は、ぜんぜん抑制されていない。ゴシップネタになるのが嫌だから今作に伴うインタヴューは一切受けない、みたいな記事をどこかで読んだけど、そこまで突っ込まれるだろうことが予想されながら、溢れる胸の痛みをここまで延々と歌詞にしてしまっている時点で既にそうだし、メロディ自体も抑えめではあるけれど、それによって引き立てられるヴォーカル自体には、情念を感じないではいられない。フロントマンとしての凄味は、その実生活を容易に想像させる歌詞によって、抑制どころかむしろ増幅しているように、少なくとも僕にはそう聴こえる。

 

頭に血がのぼった結果として静寂の世界に行ってしまうような、クリス・マーティンは、そんな人間ではないようだ。失ってしまった恋人への悲痛な思いを切々と延々と歌い続ける作品を「幽霊の話」と名付けてしまうクリス・マーティンの視界に今、必要最小限以外の人間は、果たして映っているのだろうか。クリス・マーティンは今こそ、そんな世界があるとすればだけど、「静寂の世界」にいるのではないだろうか。