andymori / 光

光

突然ですが、(当時の)当ブログのタイトル「loveletter to what i love」について、皆さんはどう思われますか。

・イマイチ野暮ったい

・身も蓋もなさすぎ

・「i」が小文字なのは英文法的におかしい

……はい、本当にたくさんの傾聴すべき意見が聞こえてきますね。まあ、「i」が小文字な理由を説明せよと言われると勘弁してくださいってなるんですが、野暮ったいとか身も蓋もないとかってのは、実際思いはしたんですよ。もう少し凝ったタイトルもあるんじゃないのかなって。僕も考えてはみたんです。考えてはみたんですけど。僕はどうしてブログなんてのをやってるのかと考えると、これ以外のタイトルは、どうしても見つからなかったんです。僕はどうしてブログなんてのをやってるのか。愛するものへの愛を表現したいから。それ以外に答えが見つからなかったんです。と言うか、最初から答えはわかってたんです。愛を伝えたいんです。ラブレターを書きたいんです。ありったけの愛を、できる限りの言葉で伝えたい。愛を湧き起こしてくれた作り手に、愛を受け取ってくれる読み手に、書き手として精一杯の力で、愛を伝えたい。それだけなんですね。ブログを書いている時の僕は、作り手さんの顔も、読み手さんの顔も、明確に思い浮かべて書いています。作り手さんに、読み手さんに、書き手の僕の顔が見えてくるような、そんなブログでありたいと、いつも思っています。

 

andymoriの新作「光」。

僕が彼らに出会ったのは2010年、あの10年代屈指のアンセム「1984」でだった。今になってこんなことを言うのも後出しジャンケンみたい&感性の欠如を表明するようで気が進まないけど、当時から言われていた「和製リバティーンズ」なる彼らへの形容がしっくりきたことは、実はなかった。その年の「ファンファーレと熱狂」、翌年の「革命」、2枚とも本当によく聴いた大好きなアルバムだけれど、それでも「1984」1曲の魅力は、それ以外のすべての曲の持つそれの総和を余裕で超えていたし、悪い意味ではまったくないのだけれど、僕にとってのandymoriは「1984」に集約されてしまう、あの曲はそれくらいに名曲だと思う。

結論から言えば、本作「光」にも、曲単位で「1984」を超えるそれはない。たとえば前作「革命」で前面に押し出されていたバンド・サウンドも、本作に於いては既に消化されたものとして聴こえる。本作が前面に押し出してくるもの、それはリリックだ。フロントマン・小山田壮平君によるリリックだ。

今、こんなにも強く2人称を歌う人を、僕は他に知らない。「ジーニー」で、レミオロメンの「粉雪」ばりに絶叫される「知之」(=長澤知之)は勿論のこと、すべての歌に出てくる「君」の姿が、小山田君にはきっと見えている。そしてそれが自分の最も強い歌だってことに、小山田君はきっと気づいている。自分の歌を最も強く広く届けるのが直接2人称の表現だってことに、小山田君はきっと気づいている。

だからだろう、どこかアウトテイクのように聴こえる最終曲「彼女」に、「君」は出てこない。「彼女」に出てくる「彼女」が、実際に小山田君にとっての「彼女」なのかどうか、それは僕にはわからないし、わかる必要もない。

 君の喜びを僕が 君の怒りを僕が 君の悲しみを僕が 僕が歌うから

実質的なラスト曲であろう「シンガー」で、思わずそんな大上段から歌い上げてしまった、そんな小山田君の照れ隠しとして僕は「彼女」を聴いたし、そんな風に大上段から歌い、そんな風に照れる小山田君が、僕は好きだ。

 

あのリリースタイミングで誤解を恐れずに大文字を掲げて歌い、やはり相当数の誤解を生んだと思しき「革命」。前作とある種対照的とさえ言えるような、前作を通過したからこそ生まれたであろう、直接2人称単数の「君」を歌い上げる本作「光」は、僕にとって、これまでで最もリリックが入ってくる、これまでで最もリリックが心震わせる、そんなandymoriのアルバムになった。

 

そういえば僕は、リアルタイムでは初めてと言っていいほどにロマンチックに直接2人称を歌いながら鮮烈に登場し、リアルタイムでは初めてと言っていいほどに残酷に崩壊していった直接2人称のバンドを、1組だけ知っているよ。もちろんandymoriにそんな悲劇的なドキュメンタリーなんて、これっぽっちも求めていないけれど。そうか、そうだったんだね。かつてandymoriが形容されていた言葉が、こんな風にしっくりくる日が来るなんて。

小山田壮平君が、andymoriがこれからも歌っていくであろうたくさんの「君」を、小山田壮平君が、andymoriがこれからも見ていくであろうたくさんの「君」を、これからもずっと受け取っていきたいなあ。受け取っていくんだろうなあ。素敵なことだなあ。

 

小山田壮平君の顔を、andymoriの3人の顔を思い浮かべながら、僕は書いています。僕と同じように、小山田壮平君の、andymoriの歌に心震わされているであろうあなたの顔を思い浮かべながら、僕は書いています。

小山田壮平君に、andymoriに、僕と同じように、小山田壮平君の、andymoriの歌に心震わされているであろうあなたに、僕の心の震えが伝わると信じて。