増田俊也 / 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

何から語れば良いのか。語るべき何かが残されているのか。この圧倒的な熱を放射し続ける1冊を読了した後に、いったい何を語れば良いのか。それでも語らずにはいられない、語りたいという欲求を止めることができない。

僕が思春期以降に魅了されてきた雑誌たち、ロッキング・オン週刊プロレスsnoozer。僕が思春期以降に魅了されてきた雑誌の作り手たち、山崎洋一郎山本隆司田中宗一郎。それらが、彼らが持っていた最良にして最濃にして最好の部分が、その何倍にも濃縮されて、700ページに詰まっている。700ページ、一貫して愛に溢れている。愛しかないと言っても良いほどに。愛ゆえに人は立ち、愛ゆえに人は知り、愛ゆえに人は苦しみ、愛ゆえに人は引き裂かれていく。それでも、愛ゆえに人は愛を貫く。

あのミスター高橋の衝撃から、早10年。プロローグでいきなり描かれる一場面もまあ冷静に読み進めることができるようになる程度には、落ち着いてきた。熱を冷ましてきた。愛を醒ましてきた。ここから、木村政彦の熱烈な信者であることを表出することを憚らない筆者によって書き進められていくのがどのようなトーンのそれになるのかという予想を立てるのは、多少なりともこの世界に慣れ親しんできた読者にとって、それほど難しいことではない。筆者も言うように、力道山側、プロレス側の視点からしか書かれてこなかった、語られてこなかった、あの試合、あの試合に至るまで、あの試合を終えた後の力道山木村政彦の熱烈な信者である筆者は、信じがたいほどの丹念な取材を通じて、木村政彦側、語られてこなかった側、黙殺されてきた側から、あの試合、あの試合に至るまで、あの試合を終えた後を書き出す。あの試合、あの試合に至るまで、あの試合を終えた後の、木村政彦を書き出す。勝者によって語られる歴史が正史として語られるこの世界の常識を、この筆1本で覆してやると言わんばかりの、それほどの熱、それほどの愛。

全32章から構成される本書を読み進めて表題の1戦に辿り着くのは、実に第28章。そこまでの27章、550ページ弱、一貫して語られていくのは、木村政彦木村政彦になっていく過程であり、木村政彦木村政彦たらしめる木村政彦の強さと弱さ。すなわち、木村政彦という人間であるのだ。そこから透けて見えるのは、筆者がいかに木村政彦に魅了されているのか、筆者がいかに木村政彦を愛しているのか。筆者の恐るべき丹念な取材、そのすべては、たったひとつの動機に拠るものなのだ。勝者によって闇に葬られた真実を、世に曝け出したい。勝者が踏み躙り放り捨てた木村政彦の名誉を、この筆1本で回復したい。

その目的が果たされたかどうかを、ここで語ることはしない。それは、15年を費やして書き上げられた700ページを読み進めて知る、それだけの価値を持つことだ。ここでそれを語ることは、そのたったひとつの目的のために15年を費やし700ページを書き上げた、筆者の愛を踏み躙るにも等しい行為だ。筆者の愛に対する冒瀆だ。

その目的が果たされたかどうかを、ここで語ることをしないのなら。ではここで読者が語るべきこととは、何なのだろう。少なくとも僕には、その答えはひとつしか思い浮かばない。
木村政彦という人間が、いかに幸せな人間だったかということだ。
たとえその後半生に於いて、拭いがたい不名誉に塗れていたとしても。たとえその後半生に於いて、本人が幸せを感じていなかったとしても。たとえその後半生に於いて、本人が幸せを感じていたとしても。その幸せをも超える幸せを感じるべき人間だったのだ、木村政彦は。

いったいどれだけの人間が、没後20年弱の時を経て、これほど熱烈なラブレターを送ってもらえるだろう。いったいどれだけの人間が、没後20年弱の時を経て送られた熱烈なラブレターで、会ったことも接したこともない第3者の瞼を濡らすことができるだろう。

人を立たせ、人を知らしめ、人を苦しめ、人を引き裂き。それでも、人を貫かせる。それほどの愛を寄せられる人間が幸せでないのなら、きっとこの世界に幸せな人間はいないよ。
そう断じたくなるほどに、筆者の愛に溢れた1冊。秋の夜長に、愛で瞼を濡らせ。