Was There Then vol.5: スーパーカー / JUMP UP

 

JUMP UP

JUMP UP

 

一昨日の夜、幼馴染が新築した家に招かれてきた。中学を卒業してから20年近く連絡を取っていなかった彼とは、1年前の春に僕が異動してきた今の職場で、お互いまったく予想もしていなかった再会を果たした。2人を隔てた20年近くのブランクも、2人が物心ついてすぐからの10年以上の付き合いの前では無力に等しかったようで、この1年、職場ではもちろん、仕事以外の場所でも頻繁に彼と会っては、昔を懐かしみ、今を語り合い、冗談のような話だが、生まれたばかりの彼の子どもの将来の家庭教師の約束までも交わしてしまうくらいに、本当に、出不精の僕にとっては奇蹟と言ってもいいレベルで、頻繁に彼と言葉を交わしてきた。

 

「お前もそろそろ、難しいことばっか考えとらんでさ、落ち着いて家庭を持ってくれよ。お前も結婚して、お前とお前の嫁さんと、お前の子どもも一緒にうちに来てくれよ。そんで、みんなでバーベキューでもしようや」

こんな言葉を何の照れもなしに口に出せる人間は、まあこの年齢になれば一定数いるとしてもだ、こんな言葉をこの僕に向けてまっすぐに口にしてくれる人間が、この年齢になっても僕の近くにいてくれるということは、幸せなこと以外の何でもないだろう。

 

 

青になって誰かと同じに歩き出すのは誰かと同じが僕には幸せだから。

高校を卒業した1週間後に手に入れたこのアルバムの歌詞カードに最初に記されていたこの日本語、この日本語よりもすぐれた歌詞を、高校を卒業してから15年を過ごした僕は、いったいどれだけ挙げることができるだろう。

 

音楽を聴き始めて数年が過ぎた高校2年生の僕が、初めて憧れた同世代、それがスーパーカーの4人だった。

東北の小さな町の片隅で、ベースがろくに弾けない芋っぽい女の子が出した、冗談みたいなクマのイラスト付きのメンバー募集の貼り紙を見て集まった4人。そんなどこにでもあるようなエピソードさえ、日本のどこを見渡しても鳴っていない音楽によって、受験生の僕の頭の中に確たる場所を作って居座ることになった。

ファーストアルバムの歌詞カードに、歌詞と一緒に載っていたギターコード。「同じコードを押さえても、出てるのは自分の音なんだよ。ちゃんとそのことに気が付かなきゃ」。若き作詞家がインタヴューで口にしたそんなカッコよ過ぎる言葉によって、きっと何千人もの若者が、その言葉を信じてギターを鳴らした。彼らをきっかけに聴くようになったジーザス&メリーチェーン、をきっかけに知ったあのあまりにも有名なアルバムにまつわるあまりにも有名なエピソード、「VUのバナナ・アルバムをリアルタイムで聴いた若者の殆どがバンドを組んだ」に近いことは、きっとあの頃の日本で起こっていたと思う。

 

2014年になってもまったく色褪せない、それほどに素晴らしく青いギターポップの1st。2014年になっても「ああ、あの頃の彼らに憧れてるんだね」って明らかにわかるような音が聴こえてくる、それほどに素晴らしいロックとエレクトロの融合の3rdと4th。

一周した後の自らの拡大再生産的に聴こえる(ほどに聴き込めていない気も実はするけれど)5thは別にして、1stから4thまでを流れで聴こうとすると、この2ndアルバムだけが、明らかに収まりが悪い。影響を及ぼした音や影響を受けた音、そういった音が、この2ndアルバムだけは、本当に見つからない。彼ら周辺の音楽もそれなりに聴いてきたと思うくらいには彼らのことが大好きだったんだけど、そんな僕の不勉強だと言われればむしろ教えを乞いたいレベルで、発売から15年経っても、いまだにこのアルバムに似た音を聴いたことがない。

「途中」でしかない音であったこと、それは間違いない。「スーパーカーがノイズギターを捨てた?」、そんな言葉が「My Girl」の帯にあったことを憶えている。作曲を担当していた人間の中では、1stの音は既に「ストック」でしかなかったこと、明確に鳴らしたい音はあるけれどその時点では数年という単位で曲を作っていなかったこと、当時のインタヴューで暗記するほど読んだ。

 

そんな作曲家の思いを汲んだのか否か、このアルバムの詞は、今読み返しても本当に、本当に神がかっている。

傷つけながら傷つきながら気付けないまま歩いていくのさ。

 

この場所へ戻る日は、何を着よう‥‥何を話そう?

 

単純な優等生のまま永久に優等生でいたいんだ?

 

前へ前へと進む僕には

後を振り向く勇気も余裕もありもしないのに。

 

今読み返しても神がかっているのか、今読み返すから神がかっているのか。

僕が初めて憧れた同世代だった4人は、この「途中」の季節を終えた後、徐々にではあるけれど、ハッキリと、袂を分かち始めた。それによって色褪せて聴こえてしまうような程度のものしか残せなかった方がむしろ良かったのかもと、そう思ってしまうほどに、彼の作る音楽が彼の作る詞を、置き去りにしていった。「詞には一切興味がない」と、そう言っても許されてしまうほどの音楽が、初めて目にしてからまる15年を過ごしても上回るものに出会った記憶がないほどの詞を、置き去りにしていった。

 

「途中」の季節だから見えるもの、「途中」でしかない季節にしか見えないもの、そういうものもたぶんあるんだろう。そしてそれが「途中」を終えた後の風景よりも劣るなんてこと、誰も言えないだろう。

青春の最中は前をじっと見つめていてよ。

こんなに素晴らしい詞を書いたのは、それが難しいことだってことを知っていたからだろう。

 

活動していた時期に聴いた回数で言えば、1stと3rdの方が多い。解散してから聴いた回数は、このアルバムが断トツで多い。解散してからの期間が長くなるほど、このアルバムを聴いた回数の断トツさも増してきている。それは、初めて憧れた同世代の4人を、最終的な2人と2人ではなく、「途中」の4人の姿で思い出したいからなのか、そんなことは関係なく、単純に音として詞としてシックリくるからなのか、そこを掘り下げたいとは、今のところ思わない。

 

 

幼馴染がかけてくれた言葉のように、僕にもいつか、落ち着いて家庭を持つ日が来るのだろうか。いつか、この「途中」の日々にひとつの区切りをつける日が来るのだろうか。先に歩き出したように思える彼と同じ道を、彼と同じに歩き出せる日が、僕にもいつか来るのだろうか。

わかっていることと言えば、今の僕は、それはそれで幸せなことだと素直に思えるようにはなっているってことくらいだ。そしてそれは、初めてこの詞を目にした時には思えなかったことだってことくらいだ。

 

高校を卒業した1週間後に手に入れたこのアルバムの歌詞カードを見てから、明日でちょうど15年になる。