前野健太 / オレらは肉の歩く朝

オレらは肉の歩く朝

オレらは肉の歩く朝

40歳になったら、地元に帰ろうと思っている。数年前に父を亡くしてからも働きに出ている母親が、ちょうど65歳になるからという、それだけの理由だ。働くことを引退する母親を1日中家に1人きりで過ごさせたくないと思うくらいには母親が好きだという、それだけの理由だ。地元が好きだからというわけでは、まったくない。

今暮らしている町から地元までは電車で1時間弱。帰ろうと思えばすぐにでも帰れる距離だ。でも今はまだ、帰るつもりはない。そんなにここが大好きなのかと言われれば、そういうわけでもない。嫌いというわけでは勿論ないけれど、大好きというわけでもない。でも今はまだ、帰るつもりはない。

25歳の春に今の職場への就職を機にこの町に暮らし始めて、もう丸7年が経とうとしている。今の仕事について丸7年、仕事柄、この町にずっと暮らし続けている人たちと触れ合う機会も多い。この町にずっと暮らし続けている人たちと触れ合う機会を通じて、何よりも伝わってくる気持ち。それは、この町にずっと暮らし続けている人たちの、この町への、愛憎を超えた愛だ。愛というにはいささかシミだらけで汚れ過ぎているけれど、それでも名前をつけるとすれば愛でしかないような、そんな気持ちだ。

この町に暮らし始めて、もう丸7年が経とうとしている。18歳の春に地元を出て、さまざまな町で暮らし、25歳の春にこの町に来た。18歳の春に地元を出て以来、ひとところにとどまった時間としては、圧倒的に長い時間を過ごしてきた。この町の人たちとも、7年を暮らし続けたなりに触れ合ってきた。そして、こんな僕の中にもある気持ちが芽生えつつあるのを、ほのかに感じる。この町が大好きなのかといわれれば、まだそういうわけでもない、こんな僕の中にも。シミ混じりだし汚れてもいるのだけれど、それでも名前をつけるとすれば愛になるような、そんな気持ちが。

 

デビュー作「ロマンスカー」、2nd「さみしいだけ」で「現代の東京の若者」の歌を歌い上げた、1979年生まれ、現在33歳の前野健太は、前作フル「ファックミー」、そしてその後のミニ「トーキョードリフター」で、徐々に、しかしハッキリと、「故郷を離れ東京で数年を生きた、かつての地方の若者」としての貌を見せ始めた。そして2年ぶりのフルレンスとなる本作で、その貌はますます明確になり、そしてそれは、この上ないほど素晴らしく、この上ないほど、かなしい。

今の前野健太の、その素晴らしさとかなしさ。それはたとえば本作のベストトラックのひとつ「東京の空」を、「ロマンスカー」のシークレットトラックヴァージョンのそれと聴き比べてみても明らかだ。抑制された演奏に乗せて抑え目に歌い始める前野健太のヴォーカルは、曲が進むに連れて明らかに、抑制されたままの演奏とのバランスを欠いていく。声を裏返しながら、テンポも若干危うくなりながら、それでも「東京の空」を歌い上げる。どこか唱歌のような愛らしい曲として響く「ロマンスカー」のヴァージョンとは、明らかに違う。

今の前野健太の、その素晴らしさとかなしさ。それはたとえば本作のベストトラックのひとつ「東京2011」を、どこか曲調が似ている前作のベストトラックのひとつ「石」と聴き比べてみても明らかだ。「生まれたまちから はなれて」「ライク・ア・ローリング・ストーン」、離れ、流れていくと言う視点で歌われていた「石」と、「街なんて何処だっていいのに いいはずなのに」、それでも離れられない、「使い古された憧れの街」と揶揄しながらも、結局は「この街がやっぱり僕は好きなんだと思った」と、直球過ぎるほどに直截的に愛を表明してしまう「東京2011」。

どうしたって思い浮かべずにいられないのは、キャリアの節目節目で「東京」の名の入った傑作を発表し続ける、かつての上京者、曽我部恵一さん41歳の貌や、昨年の傑作「リトルメロディ」で「離れられない 愛する町 生きてくことを決めた この町」をはじめとした、叶うことはないであろう町への愛を歌い上げた、七尾旅人33歳の貌だ。写真を見たことがないけれど、同じく昨年に「“地方ガール”小説」と称された傑作「ここは退屈迎えに来て」を発表した山内マリコ32歳の貌も、そこに並べたい。積極的な選択なのかそうでないのかは、もはや問われない。そこで暮らし続けたことでしか芽生え得ない気持ちがあり、それはもはや愛憎も超えた、決して愛なんて一言で片づけられるような簡単なそれではないんだけれど、それでも名前をつけるのならば愛にしかならないような、そんな気持ちが、確かにあるのだ。

 

埼玉県入間市から上京して東京に暮らす前野健太は、これからもずっと東京で暮らし続けていくのだろうか。本作の発表に伴ういくつかのインタヴューを読むと、彼の中での東京の位置付けも徐々に変わってきているようだ。かつて抱いていた東京への憧れは、確実に薄まってきているようだ。調べれば入間市から東京までは電車で1時間弱、帰ろうと思えばすぐにでも帰れる距離だ。生活拠点を地元に戻して東京で歌手活動を続けることも、たぶんそれほど困難なことではないんだろう。

でもやっぱり、前野健太には「故郷を離れて東京で数年を生きた、かつての地方の若者」としての、そんな歌を歌い続けて欲しい。そんな立場でないと芽生え得ない気持ちがあり、そんな立場でないと歌えない歌があり、そんな歌を聴きたいと思っている人が、きっと彼が思っているよりもずっとたくさんいるから。彼の歌がどんどんと沁みてくるようになってきてる、そんな人間が、ここにいるから。