忘れらんねえよ / 忘れらんねえよ

ファーストへたれアルバム「忘れらんねえよ」

ファーストへたれアルバム「忘れらんねえよ」

世界は変わるって思っていたのは、何歳の時までだろう。世界を変えることができるって思っていたのは、何歳の時までだろう。

世界は変わらないって思ったのは、何歳の時だろう。世界を変えることができないって思ったのは、何歳の時だろう。

 

あれは大学3回生の頃だから、もう10年以上前になるんだな。ゴーイング・ステディ。「まだ見ぬ明日に何があるのか、何があるのか僕は知らない」って歌うバンド。シロップ16g。「I can't change the world」って歌うバンド。僕は、そんな2つのバンドに夢中になっていた。就職活動はまだ始めてなくて、まだ見ぬ明日に何があるのかは大体わかっていたんだけど、まだ見ぬ未来に何があるのかは知ろうともしてなかった、そんな大学3回生の頃。世界を変えることができないとか以前にあまりにも日常が変わりなくて、それでもたとえば就活でも始めれば、世界も変えようと思えば変えられるんじゃねえのとか無根拠に楽天的、端的に言えばバカだった、そんな大学3回生の頃。

 

忘れらんねえよの1stアルバム、「忘れらんねえよ」。CDショップで目にしたオビの文句(と言うか歌詞の一部分)「いつも遠くで見つめている あの娘と彼氏のはしゃぐ姿」に、ビートルズの「She Loves You」の香りをかすかに感じて、試聴もせずにとりあえず買ってみた。家に帰って、とりあえず聴いてみた。残念ながら、ビートルズはは見つからなかった。僕が見つけたのはゴーイング・ステディとシロップ16g、もう何年も思い出の中でだけ鳴り響いていたバンドの亡霊、と言うよりむしろ、残滓だった。

 

いつのまにか三十路になっていく いい それでいい

俺がその気になれば あの娘のブログのURL 探すなんて訳ねえよ 他にやることね えよ

サンキューアイラブユー世界

あの娘あんとき笑った思い出だけを吸い込んで 俺は前に進む

 

ゴイステを筆頭に、10年近く前に流行った青春パンク調の曲を、10年前のゴイステやシロップよりも更に不安定に奏でるベースとドラムに乗せて、10年前のシロップ直系の逆ギレ・負け犬的な歌詞を不安定に歌い上げるヴォーカル&ギター、裏ジャケの写真を見ても大学生かせいぜい20代前半にしか見えないたたずまいの3人は、驚くべきことに、実年齢は3人ともに僕と同世代、三十路に足を踏み入れているという。さらに驚くべきことに、そんな彼らは、アルバムのラストでこう歌うのだ。「僕らチェンジザワールド」と。ビートルズのような詩情などではまったくなく、好きなあの娘が他の男とよろしくやっているのを妄想の種にするような、にわかに同世代とは信じがたいようなそんな歌詞(実際、彼らの歌詞、そして歌詞カードに載っているヴォーカルによる自曲解説に於ける「オナニー」をはじめとした直截的な下ネタの出現率の高さは、正直、僕の許容範囲を少し超えている)を延々と歌い続ける彼らが歌うのだ、「僕らチェンジザワールド」と。そして、さらに驚くべきことに、もはや同世代とは信じられないようなそんな彼らが歌う「僕らチェンジザワールド」という言葉に、僕は心を動かされてしまったのだ。

 

「いつか三十路になっていく」ことを肯定することと、「僕たちは世界を変えることができない」ことを肯定すること。僕はいつからか、このふたつをイコールで結びつけようとして生きてきた。いつからか、年を取ることはまったくネガティブなことじゃないと思えるようになっていたし、世界を変えることができないことも、そりゃポジティブとまではいかなくても、殊更ネガティブに捉えることでもないと思った。そりゃ三十路になっても「あの娘と彼氏のはしゃぐ姿」を見つめるのは辛いけど、僕の世界には、その辛さを超えるほどに楽しいことを見つけられた。「あの娘のブログのURL」なんて探す必要をまったく感じないほどに、楽しいことをたくさん見つけられた。世界で生きることは、10年前に思っていたほどに楽ではないけれど、10年前には思いもつかなかったほどに楽しいことだった。きっと僕は年を重ねながら、そういう感情を手に入れてきたんだろう。きっと僕は、そうやって世界との折り合いをつけてきたんだろう。「サンキュー」とも「アイラブユー」とも思わないけれど、他のいつ何処でもない今此処こそが、僕の生きている世界だということ。いつの間にか僕は、それを受け入れていたんだ。

しかし彼らは、どう考えても僕とは違う。「いつか三十路になっていく」ことを肯定することと、「僕らチェンジザワールド」と叫ぶこと、すなわち「世界を変えることができる」と信じること、その2つを、彼らはイコールで結びつけようとしている。ヘナヘナな演奏にヘロヘロな歌を載せて、彼らはイコールで結びつけようとしている。三十路になっていきながら、世界を変えようとしている。三十路になっても「あの娘が彼氏とはしゃぐ姿」から目を離せず、三十路になっても「あの娘あんとき笑った思い出だけ」しかなく、三十路になっても世界に楽しいことを見つけられず、時に逆ギレ気味に「サンキューアイラブユー」とか言っちゃいながら、それでも、そんな世界に白旗を上げようとしない。それならもう、世界を変えるしかないだろう。そして彼らは、世界を変えることができると信じることを、止めようとしない。彼ら自身が折り合いのつけられない、そんな世界を変えることができると信じることを、止めようとしない。

 

10年以上前に「まだ見ぬ明日に何があるのか、何があるのか僕は知らない」って叫び、三十路を迎える年に「僕たちは世界を変えることができない」と言った人の現在を、僕はもう詳しく知らない。10年以上前に、三十路少し手前の年齢で「I can't change the world」って歌っていた人の現在も、僕はもう何も知らない。

 

今、世界を変えることができないと思っている三十路の僕は、この世界でなかなか楽しく生きている。今、この世界でなかなか楽しく生きられない三十路の「忘れらんねえよ」の3人は、世界を変えることができると信じることで、この世界を生きている。僕は彼らの写し鏡なのかも知れない。彼らと僕はねじれの位置にいるのかも知れない。正直、僕にはまだ、僕と彼らの距離感がわからない。けれど否定しようのない事実として、僕は今、彼らの「僕らチェンジザワールド」の行方が気になって仕方ない。同世代の彼らが叫ぶ「僕らチェンジザワールド」に、折り合いがつけられない。同世代の彼らの行方を、これからも出来る限り知りながら、僕は今からも、この世界で生きていこう。彼らも僕と同じように今この世界で生きていること、それだけは間違いのないことなのだから。