横田増生 / ユニクロ帝国の光と影

ユニクロ帝国の光と影

ユニクロ帝国の光と影

1人の天才を、僕は知っている。
職場の規模自体は大したことはなくても、組織規模で言えば、全国に約24,000の支局、その総社員数約120,000人を抱える会社に籍を置く僕は、幸か不幸か、全国約24,000局で働く約120,000人、営業職がその半分だとしても約60,000人、その中で5本の指に入る営業成績を誇る社員と、現在同じ職場で過ごしている。彼の努力が今の僕には及びもつかないものであることは十分承知した上で、それでも僕は、彼を天才だと思う。
1人の天才と、僕は日常的に接している。

グローバルな取材であぶりだす
本当の柳井正ユニクロ

という煽り文句で手にとった本作を読み進める僕の脳裏から、上記の天才の姿が消えることはなかった。

たとえば就職活動の頃にエントリーした企業のいくつかには、面接前の必読書として自社社長が著したビジネス書の名前を挙げられ(自身をモデルにした企業小説の名前を挙げてきた企業さえあった!)、読んでみればそのほぼすべてが自らで自らを礼賛する内容でしかないものであったことに失望しながらも、まあ彼らが(少なくとも現時点では)成功者であることは事実なわけだしなあなどと、割り切った気持ちになったことを思い出す。それ以来、読書する際に、現役経営者自身によるビジネス書の類はできるだけ避けて通ろうという気持ちがあったのは、多分間違いない。端的に、面白くないのだ。不愉快と言う意味ではない。「成功者の視点」と言う定点観測でしかない内容であるならば、わざわざ本を読まなくても、得られる。

上記の煽り文句やその装丁から、一目見るだけでそれらの礼賛書の類ではないということが明らかな本作は、なるほど著者の丹念で執拗な取材を通じて、ユニクロ、そしてアパレルコンサルタントをして

ユニクロ=柳井さんなんだから

と言わしめる柳井正、その人の姿を浮き彫りにする。
我々が普段マスメディアを通じて見る、あるいは作中で一度だけ著者が直接インタビューを敢行した際に見える柳井正の像とそれは、当然のことながら一致しない。柳井を称する「カリスマ経営者」という言葉を裏から覗き込んだ時に見えるのは「ワンマン経営者」というそれであり、言葉が独り歩きしていると苦笑いしながらもその言葉自体は否定せず、またその一言以上に言及しようとしない、その一言で切り捨てることを厭わない

泳げないものは溺れればいい

という言葉。では柳井にとって「泳げる」基準とは、一体どの程度なのか。その基準は、ユニクロで働かない僕たちが想像するよりもはるかに苛酷で、泳ぎ場さえ違えば楽々泳げる力を持った人たちは、ユニクロという泳ぎ場で一体どのように溺れていったのか。日本ビジネス界の一流泳者たちですらも溺れさせることに何の躊躇もない柳井率いるユニクロは、では一体どのように(致命的にはならない程度の浮き沈みはあるとはいえ)栄華を保っているのか。
本作はまず、ユニクロ側から書かれたのではまず明らかになることはないであろうこのような実態を浮き彫りにすることを通じて、ユニクロ側、つまり柳井が自身の著書でも明らかにしていたというユニクロ、つまり柳井にとっての課題がいかに困難なそれであるかを伝えることに成功している、と言えよう。

そして何より、著者の意図とは異なると思われる効果として、著者が丹念に執拗に柳井周辺の取材を重ねていくことによって、柳井自身によっては語られることのなかった柳井自身の姿が明らかになっていくにつれ、読者はこう思わざるを得ないのだ。柳井正という経営者は、柳井正自身が思っているよりもはるかに凄みがあり、柳井正自身が思っているよりもはるかに強い光を放っているのだな、と。光の裏にある影を、柳井自身が意識しているかどうかいまいちわからない影を、意識していても表出させたいとは思わないであろう影を、「アンチ・ユニクロ」、「アンチ・柳井正」と、著者がそう思っているかはともかくとして、柳井正とその周辺がそう思うのは仕方ないと言わざるを得ない(現にユニクロ柳井正は本作の出版差し止めを求めて提訴中だとか)ような筆致であぶり出すことにより、結果として、著者は読者に対して、ユニクロ、すなわち柳井正から放たれる光の強度を強める装置としての役割も、同時に果たしているのだと。

天才を知るには、天才の放つ光を見るのが最も手っ取り早い。しかし、もっと深く天才を知る方法は、天才の放つ光が生み出す、その影を知ることだ。詳細を書くことは控えるにせよ、天才の間近で天才を補助するような仕事もしてきた近年の仕事を通じて、僕は経験知としてそれを得た。

しかしその場合、「いい経営者」とは、業績をよくする経営者ではあっても、一緒に働きたいと思う経営者とは違うのではないだろうか、とわたしは尋ねた。
「柳井さんは一緒に働きやすいという経営者ではありません。柳井さんのやり方は、一緒に働く人を壊しますよね」

しかし。影のない光がないように、光のない影もまたないのだ。僕は、光を生み出したい。影のない光にはなれない。それを知った上で、僕は、光を生み出したい。

他人の影を露悪的にあぶり出すだけの類の本とはまったく違う、結果論としてなのかも知れないが、影を書くことを通じて光も強烈に光らせた本作は、仕事を考える上で、人間を考える上で、栄養になることは間違いない良作だ。それも、美味な悪薬ではなく、口に苦い良薬として。

1人の天才を、本作を通じて僕は知った。そう言える。