素晴らしいと言う主観を紡ぐ、アマチュアのブログです。

確たるコンセプトも無しに始めたこのブログも、もう半年以上になります。確たるコンセプトも持たずに始めたこのブログも、もう半年以上になる程度に続けてこれば、それなりに記事の傾向も固まりつつあります。わざわざ言うまでも無く読んで明らかではあるでしょうが、素晴らしいと思った本や素晴らしいと思った音楽に触れた感動を出発点に、そこから派生していった気持ちを紡ぐ。そんな感じのブログです。そんな感じのブログとして、これからもやっていけたら良いのかなあと思っています。

ニッポンの書評 (光文社新書)

ニッポンの書評 (光文社新書)

素晴らしいと思った本や素晴らしいと思った音楽を出発点にした、そんな文章が占める割合が大きいブログをやっている人間として、この1冊、大変興味深く読みました。

素晴らしいと思った本や素晴らしいと思った音楽を出発点に文章を書いている僕ですが、自分の文章を「批評」に属するようなそれだと思ったことは、少なくともこのブログの中では1度も無いです。「書評」に属するような文章には、もしかしたらなっていたこともあるかも知れないかな、とは思っていますが。そもそも「批評」と「書評」の間には明確な線引きはあるのかって話ですが、著者は

批評は対象作品を読んだ後に読むもので、書評は読む前に読むもの

と言う言葉で現時点での見解を説明していて、これは僕もある程度しっくりきました。(そう言えば少し話は逸れますが、「批評」に対する「書評」のような音楽用語ってあるんですかね。「批評」に対する「音楽批評」だと、それは「批評」に対する「文芸批評」ですし)

ちなみにこのブログ中、本であったり音楽であったり、その作品を中心に据えて書かれた文章のカテゴリーは「レビュー」な訳ですが、大辞泉に拠れば、

レビュー【review】
1 再調査。再検討。
2 批評記事。文芸・芸能などに関する評論。論評。また、評論雑誌。「ブック―」

ってことなんですよね。あれ、だとすれば、僕のやってることも「批評」じゃないかってことになっちゃいますよ、これ。あ、でも見てください。「批評記事」と並んで「評論」とも説明されてますね。では、「批評」と「評論」は、どう違うんでしょうか。

ひょう‐ろん〔ヒヤウ‐〕【評論】
[名](スル)物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。また、その文章。「時局を―する」「文芸―」

うーん、困ったなあ。評論という言葉の中には、予め「批評する」が含意されているんですね。出来ればここには辿り着きたくなかったんだけど、ここまで来ちゃったら、もう逃げらんない。

ひ‐ひょう〔‐ヒヤウ〕【批評】
[名](スル)物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。「論文を―する」「印象―」

なるほど。最初からここにこれば良いんだよ、とでも言われそうな、シンプルにして逃げ道のない、良い説明ですね。さすがは大辞泉さん。
そして時に回りくどくもありますが、基本的にシンプルで博識、のみならず親切でもある大辞泉さんは、その語意に続いて、用法についてまでも詳細な説明をしてくれてますんで、もうひとつだけ引用させて下さい。

[用法] 批評・批判――「映画の批評(批判)をする」のように、事物の価値を判断し論じることでは、両語とも用いられる。◇「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。「習作を友人に批評してもらう」「文芸批評」「批評眼」◇「批判」は本来、検討してよしあしを判定することで「識者の批判を仰ぎたい」のように用いるが、現在では、よくないと思う点をとりあげて否定的な評価をする際に使われることが多い。「徹底的に批判し、追及する」「批判の的となる」「自己批判」

ここまで進んできてようやく、やっぱり僕の書いている文章は「批評」ではないんだな、と揺るぎ無い確信を持って言えるところに戻って来れました。

基本的な立場として僕は、自分が文章を書いて紹介する本であったり音楽であったりを、客観的に論じようなんて、全く思ってません。思えません。良い点も悪い点も同じように指摘しようとは、少し思うこともあるけれど、それでも悪い点をひとつ指摘したとすれば、その倍は良い点を指摘したい。だってそもそも、僕は僕が素晴らしいと思った作品についてしか文章を書いていないし、そもそも書きたくない。素晴らしいと思った気持ち、すなわちこの上ない主観を出発点に書き始めた文章の中で客観的に論じようだなんて、それはあまりにも不遜に過ぎるってもんでしょう。

「ニッポンの書評」中、著者は所謂「書評ブログ」の功罪についても述べています。まあ著者に言わせれば現在の書評ブログ界は功よりも圧倒的に罪が多いようで、その主張を思いっきり簡潔にまとめれば、こういうことでしょうか。

匿名ブログという、予め守られた立場から発せられる、浅薄な読みに基づいた悪意しかないような、批判にもなっていないような、単なる営業妨害を、わざわざ書くな。批判とは、返り血を浴びる、すなわち自分も同じような批判を浴びるだけの覚悟があって初めて成立するものなんだよ。わかってるのかい、アマチュアさん。あなた達にできることはただひとつ。自分が愛情を持てた作品を、自分の愛情に基づいて紹介することだけなんですよ。

基本的な立場として僕は、自分が書く文章は完全なアマチュアのそれだと思っています。むしろ、アマチュアの書く文章であり続けたいとすら思っています。けれどそれは決して、文章の完成度が低いままでいたいとか、そういうことではありません。自分なりに自分の文章の特性を把握して出した、自分の結論です。文章を書くことでお金を稼げればいいなと根拠無く何となく夢想していたような時期も、大学生になったばかりの頃くらいだからもう10年以上前にはあったようにも思いますが、お金を稼ぐと言うことの意味を自分なりに考えた時に、それと文章を書くと言うことが、自分の書く文章の特性を考えたりした時に、自分の中でどうしても結びつかなかったのです。お金を稼ぐことの意味などを含んだその思考経過について語るのはまた別の機会があればそこに任せるとして、結論だけを言えば。
僕は僕の書く文章で僕を含む読者を素敵な気持ちにしたい。そして、結果としてではなく目的の時点で素敵な気持ちにしたい対象に自分が含まれるような行為は、それは自分の中でお金を稼ぐに値する行為とは違う。
そういうことです。

そして、そのような気持ちでアマチュアの文章を書くことを選んだ僕にとって、著者の主張はとてもしっくりくるものです。著者が言うとおりに僕たちアマチュアの書き手は間違いなく、そして望む望まざるにかかわらず、予め守られた立場に身を置けていて、それは間違いなくアマチュアの特権です。それがどうしても嫌だと言うならば、プロの書き手を目指すべきでしょう。そして、客観ではなく主観に基づいた文章を書けることもやはりアマチュアの特権だと僕は考えていて、そのような特権を与えられている以上、アマチュアであろうと遵守すべき暗黙のルールはあるでしょう。著者はそれを、少しだけ辛辣な言葉で伝えてくれているだけのこと。そしてそれは本来、教わるものでもない程度のこと。

確たるコンセプトも無しに始めたこのブログも、もう半年以上になります。確たるコンセプトも持たずに始めたこのブログも、もう半年以上になる程度に続けてこれば、それなりに記事の傾向も固まりつつあります。わざわざ言うまでも無く読んで明らかではあるでしょうが、素晴らしいと思った本や素晴らしいと思った音楽に触れた感動を出発点に、そこから派生していった気持ちを紡ぐ。そんな感じのブログです。そんな感じのブログとして、これからもやっていけたら良いのかなあと思っています。

本書を読んで、その気持ちがまた新たになりました。