キノコホテル / マリアンヌの恍惚

マリアンヌの恍惚

マリアンヌの恍惚

一口に音楽好きと言っても、音源で聴く完成度を好む音楽好きと公演で聴く臨場感を好む音楽好きとでは、音楽の楽しみ方には結構な距離があると思っていまして。んで僕なんか、どちらかと言えば、というか結構極端に前者寄り、「CDを買う→PCに取り込む→終りなき再生」の一連の作業全般に愛を注ぎ込むあまり、よっぽどに思い入れのあるミュージシャン(昨年で言えばサニーデイ・サービス)や、よっぽどに興味をそそられたミュージシャン(一昨年〜昨年で言えばMIKA)でもない限り、公演に行こうなんて思わなかったりする訳ですよ。音楽好きなら当たり前くらいに思われてるフェスにも、夏冬どちらも1回ずつしか行ったことないし。ま、今年は行こうかなと少し思ってますけれど。

んで、そんなバリバリ音源派の僕ですが、今日も仕事から帰ってきてこのアルバムを1周。気がつけばコンビニまでチャリを走らせていました。キノコホテルの公演チケットを買うために。

「ポップで過激で中毒性の高い大衆音楽」というコンセプトを持つ彼女たちのこの2ndアルバムは、現時点で掛け値なしの彼女たちの最高傑作です。そして僕の中では、現時点で2011年の最高傑作です。「ポップで過激で中毒性の高い大衆音楽」というコンセプトは、もう本作で完璧に達成してしまったので、次作からは新たなコンセプトを考えても良いんじゃないかって思ってしまうくらい、彼女たちのこの2ndアルバムは、完璧に「ポップで過激で中毒性の高い大衆音楽」。

「1億総中流」の言葉が充分に有効性を持っていた80年代の中流家庭環境の中で初めて音楽に触れた80年生まれの僕にとっては、ブラウン管を通して飛び込んできた音楽、すなわち「歌謡」のエッセンスこそが、「ポップ」に限りなく近い意味合いを持っているわけで。そんな耳を持つ僕が、彼女たちの歌謡性を嫌いになれるはずがない。
「歌謡ロック」の権化、The Yellow Monkeyに心を奪われながら90年代中盤を過ごし、98〜99年の「歌謡の女王」椎名林檎をこよなく愛した僕にとって「許容範囲内の過激さ」は完全に褒め言葉で、彼女たち(もしくはバンドリーダーのマリアンヌ東雲さん)はその範囲を、実によく分かっていらっしゃる。ソロになった吉井和哉が手放した過去。椎名林檎が歩まなかった未来。そんな音楽を2011年に鳴らすのは、キノコホテル。
80年生まれの僕が、80年代と90年代に耳に入れてきた音を、2011年にここまで上質に鳴らされれば、それが僕の耳に高い中毒性を持って聴こえない方が、むしろおかしい。とは言っても、2000年代に於いても僕は1人の音楽好きとして、たとえば「ローファイ」や「ガレージ」と称されるような音にも、比較的多く触れながら過ごしてきたわけで、今よりずっと歌謡に傾倒していた80年代と90年代と比べれば僕の耳もある程度はアップデートされていると、それくらいは思う。そしてそんな2011年の僕の耳にもポップで過激で中毒性を持って聴こえてくるキノコホテルの音楽は、2011年に於いても余裕で大衆性を持っていると、それくらいは思う。

ここ数年の名盤に負けず劣らず、全10曲40分強でコンパクトにまとめつつも、2分代の疾走感のある曲から8分代の浮遊感漂う曲まで揃えた彼女たちのこの2ndアルバムは、完璧に「ポップで過激で中毒性の高い大衆音楽」な2011年の名盤として、余裕で成り立っているはずだと、そう思う。聴けば聴くほどに、そう確信する。

そんなわけで6月26日まで、キノコホテル音源の完成度を延々と楽しみます。そして6月26日は、名古屋クラブクアトロまで、キノコホテルの臨場感を味わいに行ってきます。

あー、楽しみ!