music of the year : 2010 No.3 ; スピッツ / とげまる

とげまる

とげまる

スピッツ、本当に奇跡のバンドだと思う。

結成20年、僕が彼らに求めている音は、少なくともここ10年程度、全く変わっていない。それは間違ってもインダストリアルノイズやハードコア・パンクと言った一聴(「一見」の音楽版の造語)刺激的なものなんかではなく、ふんわりと耳に入ってきて離れない、そんな音。刺激的ではなくとも耳に焼き付いて離れない、そんな音。それは僕だけではなく、世のスピッツリスナーの大半はそうであると思う。

時に新基軸的なものを打ち出してきたのか?と思わせる時もある。しかしそれすらも時が経てば「スピッツ・クラシック」になってしまう。彼らがフィールドを広げたのではなく、彼らのフィールドに何かが自然に溶け込んだような。
彼ら自身がそれをどう思っているかはともかく、スピッツの唯一無二な点はそこだろう。

今作に於いて、少なくとも音楽的に「新たな冒険」と言うような試みはなされていないと思う。出来ることだけをやった、そういう言い方もあるだろう。
しかしその完成度たるや、半端なものではない。伊達に20年のキャリアは無い。そして、音そのものは、20年のキャリアが逆に嘘に思えるほどに、瑞々しい。
「キラキラしている」、そんなバカみたいな言葉しか見つからない。

理由の分からない奇跡。それに触れるのは、きっと幸せなことなんだろう。

2007年リリースの前作「さざなみCD」のレビュー、2007年12月22日のmixiレビューより、全文再掲。

新作レビュー前にこの文章を再掲して、そして今、この文章の「20」を「23」にするだけで、十分に新作に対する絶賛レビューとしても成立してしまうことに気付く。しかしそれはさすがに、3年ぶりにプレゼントを届けてくれた奇跡のバンドに対して失礼に過ぎる気もするので、もう少しだけ語る。

今日は、成人の日だ。とにもかくにも20年の生を送ってきたことを、国がわざわざと祝福する日だ。一生に一度しかないチャンスとばかりにテレビ画面を通じて自分の存在を誇示しようとする、そんな愚かな人間が後を絶たなくとも、それでも国がそれを祝福することを止める気配は今のところない、そんな日だ。
人が20年生きると言うことは、きっと、それだけの価値があることなのだ。

本作は、結成23年目のスピッツの新作だ。例えば思春期とばかりに様々な音楽性に手を伸ばし、それらを彼らの一部として咀嚼した時期を過ぎて、前作で確信したと思しき「スピッツ・クラシック」を鳴らしていることは、前作も本作も基本的に変わらない。
バンドが23年生きて見つけた黄金律は、きっと、それだけの強度を持っていると言うことなのだ。

だけど追いかける 君に届くまで
慣れないフォームで走りつづけるよ

(「ビギナー」より)

「変わりたい」何度思ったか 妄想だけではなく
今走るんだどしゃ降りの中を 明日が見えなくなっても

(「恋する凡人」より)

それでも僕は 逆らっていける 新しい バイオロジー
変わってみせよう 孤独を食べて 開拓者に 開拓者に

(「新月」より)

止めたくない今の速度 ごめんなさい
理想の世界じゃないけど 大丈夫そうなんで

(「君は太陽」より)

バンドが23年生きて見つけた黄金律は、きっと、それだけの強度を持っていると言うことなのだ。
なのに、今作を聴いていてそこかしこで耳に入ってくる、この飽くなき変化への渇望はどうだ。

歩んできた過去を見渡した上で、これからの未来に思いを馳せる。超名曲「砂漠の花」に代表されるような、そんな言葉が印象に残った前作を、僕は2007年のベストアルバムに選んだ。20年のキャリアって、それだけの価値があると思うから。

歩んできた過去よりも、まだ、未だ見ぬ未来に向ける視線の方が強いのか。そんな言葉が印象に残る今作は、間違いなく2010年を代表するアルバムだ。成人して10年が過ぎ、耐えがたい別れを経験し、絶対に手放したくないものを獲得し、それでも僕は、未だ見ぬ未来に向ける視線を強く持てるか。どれだけの別れが待っているか、どれだけのものを喪失していくかも分からない、未だ見ぬ未来に向ける視線を、強く。

もう、人生の半分以上の期間に渡って音楽を聴き続けている。スピッツのようなバンドがいる限り、これからも僕は、音楽を聴きながら生き続けていける。音楽を聴きながら生きていたいと思える。そんなバンドに、気がつけばスピッツは、なっていたんだなあ。