NHK「無縁社会プロジェクト」取材班 / 無縁社会

無縁社会

無縁社会

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する」

昨年末に映画化もされた村上春樹の大ヒット作品「ノルウェイの森」の中の、有名な一節。

それが真実だと言うのなら、この本を読了した後に僕の胸に深く突き刺さって決して抜けないこの痛みの正体は、一体何だ。

ちょうど1年前の2010年1月に本作を書籍化する基となったNHKスペシャルを見た時の深い寂寥感を、今もはっきりと憶えている。
本作のタイトルにもなっている「無縁社会」と言う言葉、元々NHKスタッフの造語らしいが、その意味はまあ言葉通りだ。人と人との縁、人と社会の縁が無くなった社会。インターネットにおける交流を持つことが珍しいものでは全く無くなった21世紀の日本社会、しかしこの言葉を生み出したのも21世紀の日本社会であり、そして僕達は今、その「無縁社会」を生きている。

本書で取り上げられるのは様々な境遇、様々な年齢の「無縁社会」の住人達だが、NHKスペシャルでクローズアップされたのも、本書を読んで頁をめくる手に汗が滲むのも、やはりその「無縁社会」で人生の最期を迎える、所謂「無縁死」を迎える人たちの死を取り上げた部分であった。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する」

それが真実だと言うのなら、無縁死を迎えた人間達が送った生とは、社会と無縁なそれだと言って良いものだと言うことなのか。社会と無縁な生を送った人間の、その生の一部として、その無縁死は存在するものだと言うのか。

村上春樹には何の恨みも無いけれど、怒りを込めて僕はそれを全否定してやりたい。
無縁死を迎えた人達すべての生を知れるはずもないけれど、そもそもすべての人間の生をひとくくりにして語って良いはずなどないけれど、それ以上に、本書で取り上げられた中の何人かの生、最終的にその生の最期を無縁死と言う形で迎えた中の何人かの生は、少なくとも僕と比べても人との繋がりや社会参加の強さに於いて全く上を行っていた生だと感じたし、少なくとも僕は、本書で描かれたその人たちの生に「尊厳」を感じたと、そう言い切れる。何の躊躇も無く言い切れる。

1年前に番組を見ながら自分がつぶやいた言葉を、今も憶えている。
「本当に無縁で死ねたならば、この寂寥感はない。本当の意味で無縁ではないからこそ、無縁の哀しみが滲み出ているのか」
1年前に番組を見ながら先輩がつぶやいた言葉を、今も憶えている。
「どうやって生きてきたかってことが、どうやって死ぬかってこととは関係ないのか」

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する」

約4半世紀前の日本で、極めて文学的な自意識により生み出され、極めて文学的な比喩として用いられたであろうこの物言いの、その実はと言えば、極めて理想的な、極めて幸福な死と生の在り方なんだと言うことを、本書を読み終えて僕は強く感じた。

死が生の対極としてではなく、その一部として存在できるように、その生に尊厳を持っている全ての人間にとってそうであることができるように。そんな社会を取り戻すために、社会に生きる僕にできることが何なのか、なんて難しい問いに対する答え、今はまったく分からないのが、本当に残念でならない。

本当に残念なことに、社会をどう変えるかという答えは全く出てこないけれど。
けれど、せめて。
せめて、自分の手の届く範囲で尊厳ある生を送っている人たち、その人たちが人生の最期を迎えた時に、僕はその人たちの生に込められた尊厳を、全力で守ろう。それだけは、絶対にしよう。

またひとつ自分の死生観を揺るがす1冊に出会った、そんな年明け。