サニーデイ・サービス / 本日は晴天なり

初聴後にまず頭に浮かんだ彼らのアルバムは「サニーデイ・サービス」(セルフタイトル)だったが、改めて聴き直してみるとそこまで似通っているわけでもない。
2、3周した後には、むしろ「東京」か? と思い、こちらも聴き直してみたが、似ているようで何かが違う。

10年ぶりのサニーデイは、僕らの彼らに対するイメージを裏切らない良作だ。作品に流れる空気感の心地良さと歌詞の描写の美しさは、リアルタイムで彼らを聴いてた僕のような人間にも、ソカバンで曽我部さんに入った若者にも、きっと受け容れられるに違いない。

けれど、曽我部さんは、サービスでこの作品を作ってるわけじゃない。そんなわけはない。

解散前の活動期の中で、サニーデイは色々な表情を見せてくれた。今回の新作を「敢えて」その中のどこかに当てはめようとすれば、上述した2作が近いのかも知れないけれど、もちろん、それだけに止まってはいない。
「ふたつのハート」「五月雨が通り過ぎて」に、それは顕著だなと。

声を聴いてみれば良い。いくつかの瞬間、曽我部さんは、声を張り上げている。「それだけか?」と、思うことなかれ。上記の2作を聴き直してみると良い。曽我部さんは、まるで語りかけるかのように、口笛を吹くかのように、時には何かを独白するかのように、歌っているから。
それは、本作の大半の楽曲でも同じ。少なくともソカバンのように暑苦しいほどにシャウトしている楽曲は、ここにはない。
でもしかし、作中ほんの少しの瞬間ではあるけれど、曽我部さんは確かに声を張り上げている。ほんの少しの瞬間かもしれないけれど、曽我部さんの声が、真っ直ぐに入ってくる。

真っ直ぐに入ってくる声を、歌詞を読みながら聴いてみると良い。諦念を歌っているとも取れる歌詞。そこを歌い上げるときの曽我部さんから、諦念じみたものは、全く感じない。

「God Only Knows!」
「いつかはぼくらぜんぶ わすれてしまうだろう」

声を張り上げ「神様しか知らないんだよ」と歌い、包み込むように「わすれてしまうのさ」と歌う。

ある種の諦念に似たものを、あくまで真っ直ぐに歌い上げる曽我部さんの歌声に耳を傾けながら、僕は思いだす。かつて、「ここがどこかなんて 忘れてしまおう」と、気怠げに歌っていた曽我部さんの姿を。

10年の月日が、人間1人、バンドひとつを、変えないはずがない。
10年の月日で、人間1人、バンドひとつが、変わりきるはずもない。

あの頃「若者たち」だった人間が、久しぶりに早起きした休日の朝に空を見上げる。そして口から出た言葉が「本日は晴天なり」だったとすれば、それは、とても素晴らしいことでしょう。

明日の名古屋公演、サニーデイを見に行きます。願わくば、朝起きた時に、晴天でありますように。

本日は晴天なり

本日は晴天なり